乗客サービス改善をはかるため、戦前から終戦直後にかけて作られた車両の下回りや手持ちの機器に新造車体を組み合わせて作られた車両です。牛妻方に制御電動車(デハ700形)、静岡方に制御車(クハ750形)の2両固定編成を組みます。
全鋼製車体と両開きドアの初採用、当時最新の地下鉄車両を意識したデザインなどで都市鉄道への脱皮をアピールし、1964年の東海道新幹線開通までに戦前製の車体は一掃され、安倍鉄道のイメージアップに大きく貢献しました。
しかし、1980年代になって県内の他私鉄やJRが高性能車や冷房車の導入を進める中、冷房がないことや下回りが釣り掛け式で古いことから乗客の評判も下がりつつありました。1983年の静岡駅地下化の際に新車ないし比較的新しめの譲渡車(当時でいうと東急5000系あたりの初期の高性能車か)の導入が噂されたものの、幸か不幸か地下鉄車両並みの仕様が災いしてしまい(?)車両置き換えの必要はなくなり(資金難だったという噂もあり)、小規模な改造だけで地下化を乗り切りました。のちに4両が冷房改造(同時に、西武の廃車発生品のFS40空気バネ台車に交換)されたものの、それ以外は特に改良もないまま 1999年の1000系導入まで全車両が生き延びました。
現在残る2両は営業運転には使用しておらず、事業用・入換用となっています。
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