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Vol.65 リゾートやまどりで行く旅 | 2014年11月16日 | ||||
中之条では町民による太鼓でのお出迎えがありました。また、リゾートやまどり乗客向けのオプショナルツアーとして、90分の町内散策が2コース設けられていました。1つは、真田氏ゆかりの寺・林昌寺と小渕記念館を巡るコース、 もう一つは町立博物館「ミュゼ」と観光物産センター「つむじ」を巡るコースでしたが、 前者は小渕記念館が閉鎖中(例の不祥事の影響?)とのことで、林昌寺のみを巡るコースになっていたため、町立博物館に行くコースを選びました。 ボランティアガイドのおじいさんを先頭に5人の参加者で中之条駅を出発。博物館は明治18年(1885年)に建てられた吾妻第三小学校の木造校舎を流用したもので、和洋折衷の独特のつくりが面白いです。館内では、まず世界の蝶など昆虫の企画展示を見て、縄文から現在に至るまでの中之条の歴史を展示したスペースへと進みました。珍しいハート形の顔をした土偶や、戦国時代の真田氏の活躍、江戸時代にここで終焉を迎えた高野長英に関する展示が特に興味深かったです。また、元々小学校だったため、昔の学校の教室を保存した部屋もあってこれもなかなか面白かったです。
雨が若干小降りになった後は、つむじの周辺を散策。廣盛酒造という酒蔵の跡地を利用して「秋、酒蔵にて」というアート展をやっていたのでこれを見学。 その後は、酒蔵の近くにある大國魂神社の紅葉を見て、中之条駅に戻りました。 中之条からの帰りは、リゾートやまどりの上り便が運転されないため、普通列車を利用。車両は引退も近いと思われる115系でした。115系は現在、首都圏から撤退した211系の導入や新型車の導入などで徐々に活躍の場を狭めていますが、吾妻線では今のところ健在です。次に吾妻線に乗るのはいつになるかは分かりませんが、下手すればこれが最後の乗車になる可能性もあるだけに、古い電車の乗り心地を堪能してきました。 |
Vol.64 架鉄屋ゆえに見てしまった(?)不思議な夢(その10) | 2014年11月6日 |
今朝は変な夢を見ました。夢の内容はこんな感じです。 川を跨いでホームがある駅(首都圏の駅で言うと北赤羽とか東大島とか新馬場風)に来たら、仙台市営地下鉄1000系風の電車が発着しているのですが、 片方の電車の行き先は「北千住」となっていて、反対側の電車の行き先は「稲城」となっていました。駅名票や案内類は緑系で統一されていて、この鉄道のイメージカラーのようです。 この駅の周辺を散策していたら、運転を誤った外車が高架下で壁に激突したのを目撃してしまい、救急車を呼びました。そして、しばらく経って救急車が現れたのですが、 救急車はフォードのエンブレムがついたアメリカ風の救急車で、明らかに日本の救急車とは違う形をしていましたが、ナンバープレートはきちんと日本のものでした。何だこれ?と思って救急車を眺めていたら、そのうちに目が覚めました。 夢占いのサイトで占ってみたところ、次のような結果が出ました。 http://yumekarte.jp/fortune.php この夢は、周囲と自分を比べたり、意識する表れです。 周囲と自分の差を意識したり、特別な相手に対する負けたくないという感情、あなたの気 持ちが上昇の傾向にあるようです。 特にライバルや気になる相手に対する感情は、極端に強いものである場合があります。 その意識は向上心であって、決して悪いことではありません。 競争心があなたを成長させる原動力になるなら良いことです。 ただ、他人より遅れをとってしまうことへの過剰な意識や不安、ライバルへの度が過ぎる 競争心は問題があります。 他人との優劣にこだわりすぎると、少し劣っただけで卑下し自信を失い、優ると相手を見 下す傲慢さが現れたりと、本来のあなたの良さが出ないばかりか、マイナス面が目 立ち、損するばかりで得することは何もありません。 もし過剰な競争心があるなら気持ちを抑圧する必要があります。 競争心と向上心を適度に保つことが、あなたをステップアップさせる秘訣です。 今は意欲や向上心を最大限引き出し、おおいに発揮させる時といえます。 ライバルや周囲など身近な相手を対象にするより、もっと上の大きな高い目標を掲げてみ てはどうでしょう。 学業や仕事のスキルアップを目指したり、これまで気後れして踏み出せなかったことにチ ャレンジするのもいいかもしれません。 あなたが持つ今のプラスの状態を眠らせてはいけません。 常に上を目指し、挑戦していきましょう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ だそうです。 この診断結果は取り敢えず置いておいて、こんな夢を見てつい架空鉄道を思いついたのですが、北千住と稲城の間でどういうルートを走らせるのかがよく分かりません。 |
Vol.63 盤景展の中に架空鉄道(?)を見た | 2014年11月3日 |
現在、荒川区文化祭が開催中で、その一環として盤景展が職場近くの町屋文化センターで行なわれたので、仕事とプライベートで2度見に行ってきました。 盤景展の中で、SLが発着する駅(駅名は「田舎駅」だった)の風景を作った作品があったので非常に気になっていたのですが、SLが牽引している客車を見ると、12系客車とかではなく西武5000系初代レッドアローでした。 しかし、ドアが折戸ではなく幅広の片開き戸だったり、屋根上のクーラー形状が異なるなど本物の5000系とは細部のディテールが色々異なるいわゆるウソ電チックなもので、 幅広扉とクーラー廻りの形状からJR185系の車体にレッドアローの前面をくっつけたものであることに気が付きました。 これは面白いと思いTwitterに投稿してみたところ、見た人から「これは錦のダイカスケールのレッドアローですよ。」 というご教授を頂きました。 ダイカスケールはリアルさには欠けますが、103系など旧国鉄の車両を私鉄の色に塗り替えて、例えば赤に白帯の103系を「これは京浜急行です!」と強引に決めつけて売ってしまうところが 面白い鉄道おもちゃです。103系や113系をベースに色を塗り替えたものは多数ラインナップされていますが、こういうバージョンもあったとは知らず、勉強になりました。 また、このレッドアローもどきを使った架空鉄道も考えてみたくなりました。 ちなみに荒川区の作品展ですが、年初の小学生図工展ではSLが連接車の客車を牽引している絵が展示されていたりと、なぜかこの架鉄コラムにネタとして上げたくなるものが多いです。 次のイベントではどのようなコラムネタに使える作品が登場するか、今から楽しみなのは言うまでもありません。 |
Vol.62 仙台に新たな架鉄を妄想中 | 2014年10月5日 | ||||
先日は3連休をもらえたので、このうちの2日を利用して2年ぶりに仙台に行ってきました。以前から浮かんでは消えていた仙台を舞台にした架空鉄道を本気で作ってみようと思い、その調査が主な目的でした。 構想中の架鉄は、通町(現在の北仙台駅付近)と西古川を結んでいた軽便鉄道の仙台鉄道(1960年廃止)をベースにしたもの、長町と秋保温泉を結んでいた 秋保電気鉄道(1961年廃止)をベースにしたもの、大河原と遠刈田を結んでいた軽便鉄道の仙南温泉軌道(1937年廃止)をベースにしたもの、 そしてこれら路線を繋ぎながら東京を目指すオリジナルの路線(仮称:東京線)の4つから成るものを想定していて、オリジナル路線に関しては、途中までのルートはほぼ確定しているもののどうやって東京に繋げようかはまだ検討中です。 線路規格に関しては、非電化軽便鉄道だった路線も後年改軌や電化が行われたという設定で1067mm、直流1500Vで統一するつもりですが、仙南温泉軌道や仙台鉄道を、琴電志度線などみたいにレール幅は同一でも小型車しか運行できない路線として敢えて残してみようとも思っています。(その場合は、名古屋市営地下鉄の改造中古車が活躍する路線になるかも。) まず1日目は秋保電鉄に関する調査を行い、夜行バスで仙台駅東口に到着後、一休みして西口に移動し、秋保温泉行きの宮城交通の路線バスに乗車。 車両はかなり古く、首都圏では既に見かけることがなくなった三菱ふそう初代エアロスターでした。古いバスだけに乗り心地は悪いですが、この頃のバスは座り心地のいいハイバックシートを使っていて座席がいいです。
ちなみにここよりさらに北にある吉岡営業所は、仙台鉄道の吉岡駅跡にあるそうですが、仙台駅からはバスが出ておらず、泉中央駅からだったら乗れたようです。 昼食は富谷営業所近くの国道沿いにある和食レストランでさんま竜田揚げ&そばセットを食べ、結局廃線跡散策による大きな収穫は得られないまま、富谷町を後にしました。
最後は、駅前の高層ビルの展望台から景色を眺め、17時過ぎに仙台駅を出発するバスで、仙台を後にしました。 帰りの佐野サービスエリアで売っていた栃木名物レモン牛乳と期間限定のぶどう牛乳。新架鉄が東京に達するとなれば、おそらく栃木県内も通過するので、栃木県内の駅売店でこれが売られるかも。 |
Vol.61 富山への旅 | 2014年9月9日 | ||||||||||||||
平日に連休をもらうことができたので、これを利用して富山方面を旅してきました。富山と言えば、富山ライトレール(ポートラム)TLR0600形、富山地方鉄道9000形
「セントラム」といった日光電鉄800形や水戸海浜鉄道2000形と同じボンバルディア型の超低床LRVが走っています。
ボンバルディア型の超低床LRVが走る架鉄をやっていながら、それに今まで一度も乗ったことがなかったし、燦柊浪漫鉄道の急行型電車を設定する際に富山地鉄の電車の要素を一部取り入れたりもしたので、
今回の旅はそれの視察および乗車も目的の一つでした。 行きは、新宿発富山、金沢経由福井行きのバス「キラキラ号」を利用しました。何かと悪名高い旧ツアーバス系ですが、当初は西武バスと富山地方鉄道バスが共同運行している池袋発のバスを利用しようとしたところ満席で、やむを得ずこれにしました。料金は安いですが横4列シートなので、西武などの3列シートのバスに比べたら居住性に劣ります。また、キラキラ号の運行会社が、旅バスから桜交通に変わったのですが、旅バスの倒産が原因だったことを出発当日に知って焦りました。運行会社が変わった後の倒産だから利用者には何ら影響ありませんが、気分的にいいものではありませんね。 集合場所の新宿のバス待合室には、乗り遅れないよう早めに行ったところ、1時間近く早く着いてしまいましたが、待合室のテーブルにモバイルコンセントが設置されていてありがたかったです。 バスは定刻より少々遅れて新宿を出発。途中、高坂、松代、有磯海の各SAにて休憩して、富山駅北口には6:00に到着。4列シートでも前後間隔を拡大してゆったりしていることを売りにしているキラキラ号ですが、やはり3列シートの方が居住性はずっと上で、 お世辞にも安眠できたとは言えませんでした。
欅平では、足湯のある河原展望台、朱塗りの奥鐘橋、人喰岩を見たりしたほか、温泉には入りませんでしたが、名剣温泉に行って来ました。散策して余った時間は、ビジターセンターを見学し、11:46発のトロッコ列車で宇奈月に戻りました。復路はオープンタイプの普通車を利用しました。快適性は、窓のある客車のほうが当然上ですが、ここに来たら、やはり外の空気に直接触れられる普通車のほうがずっと面白いです。 宇奈月到着後は、黒部川電気記念館を見学してから宇奈月温泉駅前の食堂に入り、ご当地グルメのブリカツ丼を食べました。
帰りは東岩瀬からライトレールに乗車。東岩瀬駅は唯一JR時代の駅舎が残っていて、これが昭和初期の建物でなかなかいい駅舎でした。 富山駅北に到着後は、一旦ホテルにチェックイン。今回泊まったのは、電鉄富山駅真上にある富山地鉄ホテルです。
そして2日目の朝は、アルペンルートの移動を考慮して、いつもの通勤時と同じくらいの時間に起床。7時にホテルの朝食バイキングを食べました。地鉄ホテルは、朝食バイキングにも地元特産のものを取り入れていることを売りにしていて、ホタルイカの沖漬けや蒲鉾などがありました。 朝食後に一休みしてからチェックアウトし、富山地鉄の立山行き普通電車に乗車。今度は、富山地鉄カラーに塗り替えられた旧・京阪3000系でした。 車窓左側に立山連峰を見ながら1時間ほどで立山駅に到着し、今度は美女平行きケーブルカーに乗車。平日だから空いていると思いきや結構混んでいましたが、大人数の中国人団体観光客がいたことによるものでした。 標高977mの美女平では、美女平の名前の由来となった美女杉という大きな杉の木を見てから、室堂行きのバスに乗車。途中、称名滝が見られる滝見台などの風光明媚なスポットを見ながら、一気に標高2450mの室堂ターミナルまで登りました。
大観峰でのロープウェイ待ち時間は、係員によるアルペンルート写真集の販売がありましたが、説明する係の人がギャグも取り混ぜて話していてなかなか面白く、待ち時間も退屈しなかったです。 大観峰からは、立山ロープウェイで黒部平に下りましたが、このロープウェイが支柱の全くない「ワンスパン方式」では日本一の長さを誇るものとのことです。支柱がないだけに視界は良好過ぎて、非常に迫力がありました。 黒部平で下車後は、次のケーブルカーに乗るまでの間に高山植物の庭園を見学しました。 黒部平から黒部湖に下りるケーブルカーは、トンネル内を走行します。黒部湖駅で下車後にトンネルを抜けると、目の前に巨大な黒部ダムと黒部湖が姿を現しました。 ダムの上を歩くとレストハウスがあり、そこには石原裕次郎の映画「黒部の太陽」で知られる破砕帯からの湧水が出ている箇所がありました。 また、ちょうど昼を過ぎたのでレストハウスにて昼食にし、名物の黒部ダムカツカレーを食べました。ライスがダムをイメージしてアーチ型に盛られているほか、黒部湖の緑色の水をイメージしてグリーンカレーを使っているのが特徴です。 昼食後は、殉職者慰霊碑や放水の様子を見学。また、放水が見られる展望台のところで、「黒部の物語」という展示が行われていて、これも見ました。これだけ巨大なダムとトンネルをわずか7年で完成させるという国家プロジェクトの凄さ、携わった人々の苦労を知ることができました。 見終えた後はレストハウスに再び戻りましたが、レストハウス前に「くろにょん」という猫のキャラクターがいるのを発見。もちろん写真を撮らせていただきました。
松本からは、8時ちょうどのあずさ2号ならぬ、17:18のあずさ30号に乗車。中央線特急は大部分が新宿行きですが、これは数少ない千葉行きのあずさです。甲府までは空席が目立ちましたが、甲府から結構人が乗ってきました。 新宿で下車後は、いつもの混んでいる電車で帰路につき、無事帰着しました。 |
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