COLUMN-SHIFT。それは空想すること。
COLUMN-SHIFT。それは新しく何かを生み出すこと。
COLUMN-SHIFT。それは本当は車のシフトレバーのこと・・・

架鉄コラムシフト

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Vol.65 リゾートやまどりで行く旅 2014年11月16日
リゾートやまどり
リゾートやまどり座敷
先日、吾妻線に直通する長野原草津口行きの臨時快速「リゾートやまどり」に乗車して中之条に行ってきました。中之条というと、不祥事が発覚したのは私がチケットを買った後だったのですが、小渕優子氏の問題で今非常に注目されてしまっている自治体ですね。群馬県の自治体では、世界遺産に登録された富岡製糸場を擁する富岡市の次くらいに今年注目された自治体ではないでしょうか。
リゾートやまどりは、上野始発などで運転されたこともありますが、今回の列車はなぜか大宮始発。そして、なぜか下りのみの運行で上り列車は設定されていません。
車内は、一部の特急グリーン車くらいにしか採用されていない横3列シートで前後幅も広く非常に豪華ですが、グリーン車扱いではなく普通車扱いなので、指定券だけで乗れます。また、私が乗った2号車には畳敷きのフリースペースがあって、これもまたよい雰囲気でした。
これだけ豪華な列車に特急券もグリーン券も不要で乗れるのだから、指定券は売り切れ確実だろうと思い、早くからチケットを取っていたのですが、その存在に気づいていない人が多かったのか、いざ乗ってみるとガラガラでした。
私の架空鉄道には、水戸海浜鉄道水浜線のイベントカー「黄門号」、「偕楽園号」の設定はありますが、その他のジョイフルトレイン的な車両の設定は空白となっています。 そんなわけで燦柊浪漫鉄道などにもこんな車両が欲しくなったのは、言うまでもありません。
列車は8:52に大宮を出発。主要駅に停車していきますが、途中の高崎や渋川では長めに停車してゆっくり進み、11:16に中之条に到着しました。列車は長野原草津口行きですが、中之条では90分の停車時間が設けられ、同時に電車も一旦引き上げてしまうため、ここで全員強制的に降ろされてしまいます。当初は長野原草津口まで全区間乗ってみようと思っていたのですが、そこまで行くと時間が無くなるので、切りのいい中之条までの券しか買いませんでした。
中之条では町民による太鼓でのお出迎えがありました。また、リゾートやまどり乗客向けのオプショナルツアーとして、90分の町内散策が2コース設けられていました。1つは、真田氏ゆかりの寺・林昌寺と小渕記念館を巡るコース、 もう一つは町立博物館「ミュゼ」観光物産センター「つむじ」を巡るコースでしたが、 前者は小渕記念館が閉鎖中(例の不祥事の影響?)とのことで、林昌寺のみを巡るコースになっていたため、町立博物館に行くコースを選びました。 ボランティアガイドのおじいさんを先頭に5人の参加者で中之条駅を出発。博物館は明治18年(1885年)に建てられた吾妻第三小学校の木造校舎を流用したもので、和洋折衷の独特のつくりが面白いです。館内では、まず世界の蝶など昆虫の企画展示を見て、縄文から現在に至るまでの中之条の歴史を展示したスペースへと進みました。珍しいハート形の顔をした土偶や、戦国時代の真田氏の活躍、江戸時代にここで終焉を迎えた高野長英に関する展示が特に興味深かったです。また、元々小学校だったため、昔の学校の教室を保存した部屋もあってこれもなかなか面白かったです。
当初の予定では、観光物産館「つむじ」にも行くコースになっていましたが、博物館を見ていたら時間が無くなってしまったためカットとなり、再びリゾートやまどりに乗る乗客もいることから、中之条駅に戻りました。 中之条駅でオプショナルツアー解散後は昼食にし、駅前のそば店で盛りそば+舞茸天ぷらのセットを食べ、中之条名物そばコロッケも追加注文しました。
午後はまず、図書館などのあるツインプラザに行き、ここの駐車場で最近のニュースにも取り上げられた故・小渕恵三元首相の銅像を見学。北朝鮮の金日成像を思わせるポーズが面白いですが、金日成に比べると貫禄があまりないように感じます。 元首相の死後に地元の有志によって立てられたものだそうで、銅像は国会議事堂の方角を向いているのだそうです。
ツインプラザ隣には、問題の小渕優子事務所もありますが、今回は無人のようで静まり返っていて、報道陣も全くいませんでした。
小渕優子事務所の隣にあるのが真田氏ゆかりの寺である林昌寺です。この寺は南北朝時代に、僧の長馨(ちょうどん)が創建した古刹ですが、後に荒廃してしまい、戦国時代に真田幸村の祖父・真田幸隆の弟・矢沢薩摩守頼綱によって再建され、沼田真田氏の保護下に寺勢を伸ばしたのだそうです。また、境内の観音堂と鐘楼の間にある枝垂桜は、町の指定天然記念物に指定されているそうで、春には賑わいを見せるそうです。
小渕元首相銅像
当初の予定では、もう少し遠く離れたところまで足を伸ばして紅葉見物もしたいと考えていたのですが、その後は雨が強くなってしまったため、観光物産館「つむじ」に避難。 また、つむじの館内で町が導入した電気自動車のデザインコンテストみたいなことをやっていて、小中学生の書いた電気自動車のデザイン画が色々飾ってありました。中之条町は電気自動車の普及に力を入れているようで、つむじの駐車場にも急速充電器が設置されていました。
雨が若干小降りになった後は、つむじの周辺を散策。廣盛酒造という酒蔵の跡地を利用して「秋、酒蔵にて」というアート展をやっていたのでこれを見学。 その後は、酒蔵の近くにある大國魂神社の紅葉を見て、中之条駅に戻りました。
中之条からの帰りは、リゾートやまどりの上り便が運転されないため、普通列車を利用。車両は引退も近いと思われる115系でした。115系は現在、首都圏から撤退した211系の導入や新型車の導入などで徐々に活躍の場を狭めていますが、吾妻線では今のところ健在です。次に吾妻線に乗るのはいつになるかは分かりませんが、下手すればこれが最後の乗車になる可能性もあるだけに、古い電車の乗り心地を堪能してきました。

Vol.64 架鉄屋ゆえに見てしまった(?)不思議な夢(その10) 2014年11月6日
仙台市営地下鉄1000系
今朝は変な夢を見ました。夢の内容はこんな感じです。
川を跨いでホームがある駅(首都圏の駅で言うと北赤羽とか東大島とか新馬場風)に来たら、仙台市営地下鉄1000系風の電車が発着しているのですが、 片方の電車の行き先は「北千住」となっていて、反対側の電車の行き先は「稲城」となっていました。駅名票や案内類は緑系で統一されていて、この鉄道のイメージカラーのようです。
この駅の周辺を散策していたら、運転を誤った外車が高架下で壁に激突したのを目撃してしまい、救急車を呼びました。そして、しばらく経って救急車が現れたのですが、 救急車はフォードのエンブレムがついたアメリカ風の救急車で、明らかに日本の救急車とは違う形をしていましたが、ナンバープレートはきちんと日本のものでした。何だこれ?と思って救急車を眺めていたら、そのうちに目が覚めました。

夢占いのサイトで占ってみたところ、次のような結果が出ました。
http://yumekarte.jp/fortune.php
この夢は、周囲と自分を比べたり、意識する表れです。

周囲と自分の差を意識したり、特別な相手に対する負けたくないという感情、あなたの気 持ちが上昇の傾向にあるようです。
特にライバルや気になる相手に対する感情は、極端に強いものである場合があります。
その意識は向上心であって、決して悪いことではありません。
競争心があなたを成長させる原動力になるなら良いことです。
ただ、他人より遅れをとってしまうことへの過剰な意識や不安、ライバルへの度が過ぎる 競争心は問題があります。
他人との優劣にこだわりすぎると、少し劣っただけで卑下し自信を失い、優ると相手を見 下す傲慢さが現れたりと、本来のあなたの良さが出ないばかりか、マイナス面が目 立ち、損するばかりで得することは何もありません。
もし過剰な競争心があるなら気持ちを抑圧する必要があります。
競争心と向上心を適度に保つことが、あなたをステップアップさせる秘訣です。

今は意欲や向上心を最大限引き出し、おおいに発揮させる時といえます。
ライバルや周囲など身近な相手を対象にするより、もっと上の大きな高い目標を掲げてみ てはどうでしょう。
学業や仕事のスキルアップを目指したり、これまで気後れして踏み出せなかったことにチ ャレンジするのもいいかもしれません。
あなたが持つ今のプラスの状態を眠らせてはいけません。
常に上を目指し、挑戦していきましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
だそうです。
この診断結果は取り敢えず置いておいて、こんな夢を見てつい架空鉄道を思いついたのですが、北千住と稲城の間でどういうルートを走らせるのかがよく分かりません。

Vol.63 盤景展の中に架空鉄道(?)を見た 2014年11月3日
荒川区文化祭盤景展
現在、荒川区文化祭が開催中で、その一環として盤景展が職場近くの町屋文化センターで行なわれたので、仕事とプライベートで2度見に行ってきました。
盤景展の中で、SLが発着する駅(駅名は「田舎駅」だった)の風景を作った作品があったので非常に気になっていたのですが、SLが牽引している客車を見ると、12系客車とかではなく西武5000系初代レッドアローでした。 しかし、ドアが折戸ではなく幅広の片開き戸だったり、屋根上のクーラー形状が異なるなど本物の5000系とは細部のディテールが色々異なるいわゆるウソ電チックなもので、 幅広扉とクーラー廻りの形状からJR185系の車体にレッドアローの前面をくっつけたものであることに気が付きました。
これは面白いと思いTwitterに投稿してみたところ、見た人から「これは錦のダイカスケールのレッドアローですよ。」 というご教授を頂きました。 ダイカスケールはリアルさには欠けますが、103系など旧国鉄の車両を私鉄の色に塗り替えて、例えば赤に白帯の103系を「これは京浜急行です!」と強引に決めつけて売ってしまうところが 面白い鉄道おもちゃです。103系や113系をベースに色を塗り替えたものは多数ラインナップされていますが、こういうバージョンもあったとは知らず、勉強になりました。 また、このレッドアローもどきを使った架空鉄道も考えてみたくなりました。
ちなみに荒川区の作品展ですが、年初の小学生図工展ではSLが連接車の客車を牽引している絵が展示されていたりと、なぜかこの架鉄コラムにネタとして上げたくなるものが多いです。 次のイベントではどのようなコラムネタに使える作品が登場するか、今から楽しみなのは言うまでもありません。

Vol.62 仙台に新たな架鉄を妄想中 2014年10月5日
先日は3連休をもらえたので、このうちの2日を利用して2年ぶりに仙台に行ってきました。以前から浮かんでは消えていた仙台を舞台にした架空鉄道を本気で作ってみようと思い、その調査が主な目的でした。
構想中の架鉄は、通町(現在の北仙台駅付近)と西古川を結んでいた軽便鉄道の仙台鉄道(1960年廃止)をベースにしたもの、長町と秋保温泉を結んでいた 秋保電気鉄道(1961年廃止)をベースにしたもの、大河原と遠刈田を結んでいた軽便鉄道の仙南温泉軌道(1937年廃止)をベースにしたもの、 そしてこれら路線を繋ぎながら東京を目指すオリジナルの路線(仮称:東京線)の4つから成るものを想定していて、オリジナル路線に関しては、途中までのルートはほぼ確定しているもののどうやって東京に繋げようかはまだ検討中です。 線路規格に関しては、非電化軽便鉄道だった路線も後年改軌や電化が行われたという設定で1067mm、直流1500Vで統一するつもりですが、仙南温泉軌道や仙台鉄道を、琴電志度線などみたいにレール幅は同一でも小型車しか運行できない路線として敢えて残してみようとも思っています。(その場合は、名古屋市営地下鉄の改造中古車が活躍する路線になるかも。)
まず1日目は秋保電鉄に関する調査を行い、夜行バスで仙台駅東口に到着後、一休みして西口に移動し、秋保温泉行きの宮城交通の路線バスに乗車。 車両はかなり古く、首都圏では既に見かけることがなくなった三菱ふそう初代エアロスターでした。古いバスだけに乗り心地は悪いですが、この頃のバスは座り心地のいいハイバックシートを使っていて座席がいいです。
長崎電気軌道1053
秋保電鉄模型
バスは長町駅などを経由して山中に入り、1時間ほどで秋保温泉に到着。秋保温泉街や磊々峡、覗き橋とそこから見えるハート形の穴が開いた石などを見たり散策して、長町と秋保を結んでいた旧秋保電鉄の終点・秋保温泉駅跡(最寄バス停は、のぞき橋)に行きました。駅跡には秋保電鉄の車両の代わりに元仙台市電の長崎電気軌道の車両が保存されています。 その後は、旧駅前であることを売りにしたその名も「鉄ちゃん」と言う名の食堂に入り、この店の看板商品であるナポリタンを食べました。ナポリタンが出てくるのを待つ間は、店内に多数展示された秋保電鉄の写真を見ました。 食べ終えた後は、少し歩いて観光案内センターに移動。ここにも秋保電鉄の模型や改札口を再現したセットなどがありました。 秋保温泉を見終えた後は、再びバスで仙台駅に戻りました。
夜は、ホテル近くの公園でオクトーバーフェストをやっていたので入ることにし、地元産ビールである松島ビールの店に並んでビールを買い、隣のカキ料理の店でカキフライとカキの串焼きを買いました。その後は牛タン角煮焼きスパイシーというものも食べました。 オクトーバーフェストは、最終日ということもあってか非常に盛り上がり、中央のステージで行われた音楽演奏も楽しめました。
2日目は、仙台鉄道の通町〜富谷付近の調査を行うことにし、仙台から北の方に向かう泉中央駅経由富谷営業所行きの宮城交通バスに乗車しました。 ところが乗ってみると、特に泉中央駅から先で曲がって富谷町のニュータウンに入ったりしてしまい、仙台鉄道の廃線跡は辿れなかったです。 ちなみに富谷町は、仙台のベッドタウンとして人口が増加傾向にあり、いずれは単独で市制施行を目指しているのだそうです。町は本来の中心部より、泉中央駅に近い町の南側にできたニュータウンのほうが賑わっていて、 バス路線も多くがまっすぐではなく迂回してニュータウン内を経由するように通ります。 仙台鉄道をベースにした架鉄を作る場合、鉄道が通っていた本来の中心部と、仙台鉄道廃止と仙台市営地下鉄開通後に人口が大幅に増加したニュータウン部との兼ね合いをどうするかという課題が生まれました。 また、バスの終点の富谷営業所は、富谷町の本来の中心部には比較的近いものの、周辺を歩いても結局遺構などは発見できずに終わりました。
ちなみにここよりさらに北にある吉岡営業所は、仙台鉄道の吉岡駅跡にあるそうですが、仙台駅からはバスが出ておらず、泉中央駅からだったら乗れたようです。 昼食は富谷営業所近くの国道沿いにある和食レストランでさんま竜田揚げ&そばセットを食べ、結局廃線跡散策による大きな収穫は得られないまま、富谷町を後にしました。
帰路は、行きとは別ルートを通って泉中央駅に向かうバスを利用しましたが、こちらも途中で別のニュータウンを経由し、やはり廃線を辿ることはできませんでした。 泉中央からは地下鉄に乗車して北仙台で下車。ここでは、仙台鉄道の始発駅だった通町駅の近くと言われる青葉神社を見ました。 通町〜社北仙台間は戦前の廃止なので、駅跡と分かるものはさすがに発見できませんでしたが、付近に意味深な細道があって、それを抜けると社北仙台駅前だったと言われる横丁「仙台浅草」に出ました。本家の浅草には程遠い小さく静かな横丁で、経営者や客層の高齢化によって一時期はかなり廃れてしまったようですが、最近は若い店主の店がいくつかオープンするなど再興の動きがあるそうです。
仙台浅草入口
その後は仙台駅に地下鉄で移動しました。地下鉄は現在、来年の開業を目指して東西線が建設中ですが、仙台駅にも連絡通路予定地の看板が立ち始めました。ちなみに、ちょうどこの日は未明に東西線用車両の初めての車両基地への搬入が行われたそうです。 東西間の鉄道路線が希薄な仙台だけに、東西線の開通で仙台の地図が大きく変わることになるかもしれません。
最後は、駅前の高層ビルの展望台から景色を眺め、17時過ぎに仙台駅を出発するバスで、仙台を後にしました。
レモン牛乳
帰りの佐野サービスエリアで売っていた栃木名物レモン牛乳と期間限定のぶどう牛乳。新架鉄が東京に達するとなれば、おそらく栃木県内も通過するので、栃木県内の駅売店でこれが売られるかも。

Vol.61 富山への旅 2014年9月9日
平日に連休をもらうことができたので、これを利用して富山方面を旅してきました。富山と言えば、富山ライトレール(ポートラム)TLR0600形、富山地方鉄道9000形 「セントラム」といった日光電鉄800形や水戸海浜鉄道2000形と同じボンバルディア型の超低床LRVが走っています。 ボンバルディア型の超低床LRVが走る架鉄をやっていながら、それに今まで一度も乗ったことがなかったし、燦柊浪漫鉄道の急行型電車を設定する際に富山地鉄の電車の要素を一部取り入れたりもしたので、 今回の旅はそれの視察および乗車も目的の一つでした。
行きは、新宿発富山、金沢経由福井行きのバス「キラキラ号」を利用しました。何かと悪名高い旧ツアーバス系ですが、当初は西武バスと富山地方鉄道バスが共同運行している池袋発のバスを利用しようとしたところ満席で、やむを得ずこれにしました。料金は安いですが横4列シートなので、西武などの3列シートのバスに比べたら居住性に劣ります。また、キラキラ号の運行会社が、旅バスから桜交通に変わったのですが、旅バスの倒産が原因だったことを出発当日に知って焦りました。運行会社が変わった後の倒産だから利用者には何ら影響ありませんが、気分的にいいものではありませんね。
集合場所の新宿のバス待合室には、乗り遅れないよう早めに行ったところ、1時間近く早く着いてしまいましたが、待合室のテーブルにモバイルコンセントが設置されていてありがたかったです。
バスは定刻より少々遅れて新宿を出発。途中、高坂、松代、有磯海の各SAにて休憩して、富山駅北口には6:00に到着。4列シートでも前後間隔を拡大してゆったりしていることを売りにしているキラキラ号ですが、やはり3列シートの方が居住性はずっと上で、 お世辞にも安眠できたとは言えませんでした。
富山地方鉄道14760形
富山地方鉄道16010形
富山駅到着後は駅周辺を少しだけ見て、富山地方鉄道の電鉄富山6:42発の宇奈月温泉行き電車に乗車しました。富山地方鉄道の電車は、最近導入された東急の中古車17480形(元8590系)を除きクロスシート車で、旅先の移動にはいいです。 今回乗車したのは、地方私鉄では数少ない自社発注のオリジナル車の14760形でした。ちなみにこの車両は、地方私鉄の車両はなかなか受賞する機会のないローレル賞受賞(1980)車両です。
また、乗車前に隣のホームに、西武5000系初代レッドアローの中古車16010形を、JR九州や和歌山電鉄などの車両デザインで活躍する水戸岡鋭治氏プロデュースで改装した「アルプスエキスプレス」が停車していたので、これも撮影。 車内は水戸岡氏のデザインした車両にありがちなパターンで想像通りでしたが、木を多用した内装やバーカウンター風のカウンターがあったり、独特の座席配置などは面白かったです。今回の行先ではない不二越・上滝線の岩峅寺行きだったので、乗れなかったのは残念ですが、車内には足を踏み入れることができました。
富山地方鉄道の電車には1時間半ほど乗車し、宇奈月温泉に到着。
宇奈月温泉駅からは数分歩いて、トロッコ列車の黒部峡谷鉄道の宇奈月駅に行きましたが、次のトロッコ列車の発車まで時間があるので、駅にある食堂で朝食にし、「峡谷雪渓そば(山菜とろろそば)」を食べて列車を待ちました。
待っている間に、インターネットの時刻表には載っていない列車が到着し、改札にはヘルメットと作業服の人ばかりが並んでいました。何だろうと思ったら、その列車は「工事列車」と呼ばれる関係者や貨物の専用列車とのことでした。 また、駅構内を見ていると、最新型のEDV型機関車を発見。私鉄の電気機関車では初、ナローゲージでも初、そして今のところ唯一となるVVVF車です。
工事列車を見送った後に、予約していた9:00発のトロッコ列車が到着。トロッコ列車には、窓のないオープンタイプの普通車と、窓のある客車の特別車と、さらに座席が背もたれ付きのリラックス車がありますが、2種類乗り比べてみたかったので、往路はリラックス車を利用してみました。
この車両ですが、東武の電車をよく作っていたアルナ工機(現・アルナ車両)が製造したためなのか、車内の化粧板の柄が東武の電車(20000系など)と同じでした。
黒部峡谷鉄道EDV形機関車
黒部峡谷鉄道リラックス客車
宇奈月駅を発車したトロッコ列車は、ヨーロッパの城のような外観が特徴の新柳河原発電所、石仏のような天然石の仏石、黒部川の発電所群、猿専用の吊り橋であるサル橋といった見所を通過して、1時間ちょっとで終点の欅平に到着。
欅平では、足湯のある河原展望台、朱塗りの奥鐘橋、人喰岩を見たりしたほか、温泉には入りませんでしたが、名剣温泉に行って来ました。散策して余った時間は、ビジターセンターを見学し、11:46発のトロッコ列車で宇奈月に戻りました。復路はオープンタイプの普通車を利用しました。快適性は、窓のある客車のほうが当然上ですが、ここに来たら、やはり外の空気に直接触れられる普通車のほうがずっと面白いです。
宇奈月到着後は、黒部川電気記念館を見学してから宇奈月温泉駅前の食堂に入り、ご当地グルメのブリカツ丼を食べました。
富山地方鉄道10030形
富山地方鉄道サハ31
そして、13:45発の富山地方鉄道の特急「うなづき10号」に乗車しました。この特急は、京阪から昨年譲渡されたダブルデッカー車サハ31を連結した「ダブルデッカーエキスプレス」が充当され、これに乗るのも今回の旅の目的の一つだったので、 当然2階席(ダブルデッカー車は指定席)に乗車しました。なお先頭車には、一時は撤去されていたテレビも再び設置されています。
特急は数駅のみの停車で、行きの普通列車よりもかなり早く電鉄富山に到着しましたが、富山地鉄本線は、途中の上市でスイッチバックします。ダブルデッカー車の座席は集団離反式の固定シートとなっていて転換できないので、上市〜電鉄富山間は 後ろ向きでの乗車となりました。
また、今回の移動中に日本一面積が小さい自治体である舟橋村(3.47Ku)の越中舟橋駅も通過しました。北陸3県では現在唯一の村ですが、駅が村立図書館併設で「村」の玄関口にしてはやけに立派な造りだったりと、何かと気になる場所だったので調べたところ、 村長が「ふるさとをなくす合併には反対」と宣言しているなど独立志向の極めて強い村で、幾度となく合併の動きはあったものの、明治以来一度も他と合併していないのだそうです。 今回の旅では時間がなく、ここで下車することはありませんでしたが、そんな村だけに地理マニア的には訪れておくべきだったかもと、帰ってきてから後悔しました。
富山駅到着後は、北口に移動し、富山ライトレール富山港線(ポートラム)に乗車。富山ライトレールは、JR富山港線を転換した路線で、JRの路線が路面電車(LRT)に移行した初の例です。富山駅北を出ると奥田中学校前までは道路上を走りますが、 そこから先は終点の岩瀬浜まで元JRの線路を走ります。路面電車というと、都電のようにゆっくり走るイメージがあったのですが、ここは専用軌道上では60km/hで走り、路面電車のイメージが大きく覆されたのは言うまでもありません。 路面電車の高速運転は、水戸海浜鉄道あたりでも見習ってみたいところです。
岩瀬浜でライトレールを下車し、古い街並みが残る岩瀬の街を散策したり、富山港展望台に登りました。
この辺りはロシアの船も寄港するのか、街中の看板などにロシア語が書かれているのが目立ちました。また、展望台の真下に自動車の積出港があったのですが、置いてある車は、何故か壊れた車ばかり。しかも、中には車体を切り取られた車もあり、非常に異様な雰囲気でした。
富山ライトレール0600形電車
異様な雰囲気の積出港を見た後は再び古い街並みに戻り、北前船の銅像や江戸時代の回船問屋の森家住宅などを見ました。また、和菓子店でコーヒー饅頭を食べました。
帰りは東岩瀬からライトレールに乗車。東岩瀬駅は唯一JR時代の駅舎が残っていて、これが昭和初期の建物でなかなかいい駅舎でした。
富山駅北に到着後は、一旦ホテルにチェックイン。今回泊まったのは、電鉄富山駅真上にある富山地鉄ホテルです。
富山地方鉄道9000形「セントラム」 チェックインして一休み後は、富山地方鉄道の路面電車で夕方の富山の街を散策。富山は路面電車が今も広く活躍する都市ですが、先程乗った富山ライトレールと富山地鉄の2社が存在するという点で珍しい都市です。また、富山駅は北陸新幹線の開業を控えて改良工事が進められていますが、それに伴い富山駅直下に路面電車を延伸したり、2社を直通運転することが計画されているそうです。
9000形「セントラム」の走る環状線に乗車するなど路面電車で市内散策後は、店の中に男同伴ではありましたが西野カナ系な人がいた電車通り沿いの小さな居酒屋に入り、地元特産のバイ貝の造りを食べながら軽く1杯飲みました。また、路面電車の走る音をバックに飲みながら観光ガイドを見ていたら、西野カナ系な人に「どこから来たのですか?」と話しかけられてしまいました。そこで色々話して、いくらか盛り上がりましたが、残念ながらそれ以上の進展はなし。
西野カナ系な人との楽しいひとときを過ごした後は、一緒に次の店にと言いたいのですが、一人で数軒隣のラーメン店に入り、ご当地ラーメンの富山ブラックラーメンを食べました。ブラックラーメンは、見た目通り非常に濃い味ですが、なかなか美味しかったです。
前の晩にバスであまり眠れなかったこともあり、夜は早めに寝ました。
そして2日目の朝は、アルペンルートの移動を考慮して、いつもの通勤時と同じくらいの時間に起床。7時にホテルの朝食バイキングを食べました。地鉄ホテルは、朝食バイキングにも地元特産のものを取り入れていることを売りにしていて、ホタルイカの沖漬けや蒲鉾などがありました。
朝食後に一休みしてからチェックアウトし、富山地鉄の立山行き普通電車に乗車。今度は、富山地鉄カラーに塗り替えられた旧・京阪3000系でした。
車窓左側に立山連峰を見ながら1時間ほどで立山駅に到着し、今度は美女平行きケーブルカーに乗車。平日だから空いていると思いきや結構混んでいましたが、大人数の中国人団体観光客がいたことによるものでした。
標高977mの美女平では、美女平の名前の由来となった美女杉という大きな杉の木を見てから、室堂行きのバスに乗車。途中、称名滝が見られる滝見台などの風光明媚なスポットを見ながら、一気に標高2450mの室堂ターミナルまで登りました。
室堂から大観峰(標高2316m)までは、立山トンネルトロリーバスに乗車。ここは以前に来たとき(20年以上前)は、トロリーバスではなく普通のバスでしたが、排気ガスがトンネル内に滞留することなどが問題となり、その対策でトロリーバスになりました。 トロリーバスは法規上は「無軌条電車」という鉄道になります。したがって、室堂ターミナルは日本一高いところにある鉄道駅ということになります。また、全区間トンネル内のため、景色は全く見えませんが、立山連峰の雄山(3003m)の直下を通過しているというのも特徴です。
ちなみにトロリーバスの走行音と乗り心地ですが、VVVFの路面電車と新交通システムをミックスしたような独特のものでした。
立山トンネルトロリーバス8000形
大観峰到着後は、展望台から黒部湖を見ました。ちなみにこの時点での気温は12℃。半袖しか持っていなかったのですが、半袖だと寒いです。
大観峰でのロープウェイ待ち時間は、係員によるアルペンルート写真集の販売がありましたが、説明する係の人がギャグも取り混ぜて話していてなかなか面白く、待ち時間も退屈しなかったです。
大観峰からは、立山ロープウェイで黒部平に下りましたが、このロープウェイが支柱の全くない「ワンスパン方式」では日本一の長さを誇るものとのことです。支柱がないだけに視界は良好過ぎて、非常に迫力がありました。
黒部平で下車後は、次のケーブルカーに乗るまでの間に高山植物の庭園を見学しました。
黒部平から黒部湖に下りるケーブルカーは、トンネル内を走行します。黒部湖駅で下車後にトンネルを抜けると、目の前に巨大な黒部ダムと黒部湖が姿を現しました。
ダムの上を歩くとレストハウスがあり、そこには石原裕次郎の映画「黒部の太陽」で知られる破砕帯からの湧水が出ている箇所がありました。
また、ちょうど昼を過ぎたのでレストハウスにて昼食にし、名物の黒部ダムカツカレーを食べました。ライスがダムをイメージしてアーチ型に盛られているほか、黒部湖の緑色の水をイメージしてグリーンカレーを使っているのが特徴です。
昼食後は、殉職者慰霊碑や放水の様子を見学。また、放水が見られる展望台のところで、「黒部の物語」という展示が行われていて、これも見ました。これだけ巨大なダムとトンネルをわずか7年で完成させるという国家プロジェクトの凄さ、携わった人々の苦労を知ることができました。
見終えた後はレストハウスに再び戻りましたが、レストハウス前に「くろにょん」という猫のキャラクターがいるのを発見。もちろん写真を撮らせていただきました。
関電トンネルトロリーバス300形 そして、アルペンルートの乗り物群で最後の乗車となる扇沢行きの関電トンネルトロリーバスに乗車。今年で開業50周年を迎えた関電トンネルトロリーバスですが、こちらは後年にトロリーバス化された立山トンネルとは異なり、 開業当初からトロリーバスです。開業時はおそらくトロリーバスの残っている都市があったかと思いますが、都市のトロリーバスは今や全廃となってしまいましたね。 乗ってみると騒音も少ないし、排気ガスも出さないし、よい乗り物だと思うのですが、運転士は大型二種免許に加えて動力車操縦者運転免許が必要だそうで、それが原因で廃れてしまったのでしょう。 環境問題を考えると見直されてもいい気がするし、架空鉄道でやってみようかという気も少し起きてしまいましたが、架空のトロリーバスはまず見かけたことがありませんね。
こちらのトロリーバスもほとんどの区間がトンネル内ですが、途中で黒部ダム工事最大の難所と言われた大量の水が噴出する破砕帯を通過します。
扇沢でトロリーバスを下車後は、信濃大町駅行きバスに乗車。約40分で信濃大町駅に着きましたが、乗る予定の「リゾートビューふるさと」乗車まではかなりの時間がありました。駅待合室で待とうと思ったら、椅子が全て埋まっていて座れませんでした。仕方なく近くのベーカリーに入って、パン1個とコーヒーで時間をつぶしました。
そして、信濃大町16:18発の「リゾートビューふるさと」に松本まで乗車。JR東日本の自慢のハイブリッド気動車です。ハイブリッド気動車に乗ったのは初めてなのですが、確かに停車中などエンジンが作動していない時は電車かと思うくらい静かです。しかし、エンジンが結構頻繁にスタートとストップを繰り返し、そのたびに振動が発生するのが気になりました。
松本からは、8時ちょうどのあずさ2号ならぬ、17:18のあずさ30号に乗車。中央線特急は大部分が新宿行きですが、これは数少ない千葉行きのあずさです。甲府までは空席が目立ちましたが、甲府から結構人が乗ってきました。
新宿で下車後は、いつもの混んでいる電車で帰路につき、無事帰着しました。



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