COLUMN-SHIFT。それは空想すること。
COLUMN-SHIFT。それは新しく何かを生み出すこと。
COLUMN-SHIFT。それは本当は車のシフトレバーのこと・・・

架鉄コラムシフト

Vol.96 Vol.97 Vol.98 Vol.99 Vol.100

Vol.100 幻に終わった都営三田線延長構想を基にした架鉄 2015年10月17日
上尾道路

先日、大宮花の丘農林公苑に出かけた際に近くを通る上尾道路(国道17号線)を歩いてみました。 新大宮バイパスを延長する形で、上尾市西部や桶川市西部、圏央道桶川北本ICなどを経由して鴻巣方面への延長が計画されている道路です。 中央分離帯がやたらと広いのは、上を首都高が通る新大宮バイパスと同様に、高速道路の建設も計画されているためだそうですが、ルート上にオオタカなど希少動物の生息地が確認されたことから、このまま建設を強行することは望ましくないと思います。 しかし、そんな上尾道路と新大宮バイパスについて色々調べていたら、ウィキペディアで「都市交通審議会の答申では、都営地下鉄三田線を首都高の用地上に(二重高架方式で)建設し延伸する構想もあった。」という記述を発見し、 気になったので色々調べてしまいました。
都営三田線は、当初は西高島平から和光市(当時の名称は大和町)へと延びて東武東上線への乗り入れが計画されていましたが、三田線をやめて有楽町線に乗り入れることを選んだ東武の裏切りに遭い頓挫したという歴史があります。 高島平〜大和町は当初は東武が建設する計画だったそうで、高島平駅のホームが2面4線になっているのはその名残です。
この計画が頓挫した後は、代わって西高島平から浦和市西部〜大宮市西部(名称はいずれも当時)へと延伸する計画が答申されたものの、これも埼京線の開業に伴ってか計画倒れに終わりました。 昔、私が祖父母の家のゴミからもらってきた1971年(昭和46年)の東京都の地図では、高島平から大和町までの路線が点線で記されていた(当時は巣鴨〜高島平しか開通していなかった)ので、東武東上線乗り入れ計画は生きていたと思われますが、 ウィキペディアで見た情報によると、その2年後の1973年の武蔵野線開業時の鉄道雑誌に、西浦和が都営6号線延長線の乗換駅になると明記されていたそうですので、計画が変わったのはこの頃ではないかと推定できます。
延伸計画が頓挫した後に首都高5号線や大宮線が開通しましたが、当然ながら鉄道を通すことを考慮した二重高架は採用されていないので、今となってはこのルート上に鉄道を通すことはほぼ不可能でしょう(地下を通そうと思えばできなくもないですが)。
西高島平駅

そして、調べているうちにさらに気になったので、日を改めて西高島平駅周辺を視察してきました。
志村坂上の先で地上に出てから延々続いてきた高架も西高島平で突然途切れていて、これをそのまま繋いで延長することで埼玉方面への延伸が可能な気もしますが、西高島平を出てすぐに新大宮バイパス上へとほぼ直角に右折することは不可能だし、 まっすぐや斜めに進んでも今となってはその先に住宅などが密集しているため、土地を買収してまで延長するのは絶望的ですが、住宅地が増える以前に土地の買収が済んでいたらどうなっていたでしょう。 そんなことを色々考えていたら、即席ではありますが昔の計画のように新大宮バイパスに並行してさいたま市西部を縦断する架空鉄道を思いついてしまいました。

都営三田線延長線路線図

今回思いついた架鉄は、上の図の通りです。延伸区間は大部分が埼玉県ですので、運営主体は東京都交通局ではなく別会社となります。類似のルートを通る架鉄はいくつか存在するようですが、大宮地区での終着駅が大宮駅だったり、 川越線の既存駅(指扇か日進)だったりと色々なパターンがあるようです。私が思いついた架鉄は、将来の上尾、桶川方面への延伸を考慮するなどの理由から、首都高との二重高架で新大宮バイパス上をひたすら北上するルートにし、 新大宮バイパスと川越線の交差地点に「大宮宮前駅」という架空駅を設定して、ここを当面の終着駅ということにしました。実際には、川越線の日進〜指扇間に近年になって西大宮駅が開業しましたが、 その約1km東に大宮宮前駅が存在するこの架空世界では西大宮駅が存在しない可能性もあります。
この架鉄のダイヤですが、沿線人口などを考えると全区間が現実の都営三田線と同じ日中6分間隔では過剰な気がするので、約半数は途中駅折り返しと想定し、折り返し地点を数パターン考えました。 「A案:西浦和にて折り返し」、「B案:美女木にて折り返し」、「C案:高島平にて折り返し」の3パターンです。
運行会社が切り替わる西高島平での折り返しが妥当な気もしますが、西高島平を出るとすぐに急カーブになり、引上線を作りづらいことから、西高島平での折り返しは敢えて考えませんでした。 A、B案だと新設区間の途中駅に折り返し設備が必要となりますが、C案だと既存の高島平駅の折り返し設備を使えることから、折り返し設備の新設が不要になります。 高島平〜西高島平間が現実の都営三田線よりも減便になってしまいますが、実際の都営三田線も高島平以西は乗客が一気に少なくなるので、問題はないかもしれません。 また、今回は考えなかったのですが、距離が長くなることから全列車が各駅停車ではなく快速運転もあったほうがいいかもしれません。
車両についてはまだ具体的に考えていないのですが、当然ながら都営6300形など乗り入れ先と同一の規格のものになります。車両のデザインなどは、また次の機会とさせてください。

さて、長きにわたってホームページ上でHTML版でやってきた「架鉄@コラムシフト」ですが、編集の都合などにより次回Vol.101からアメーバブログ版に移行させていただきます。 ご覧のVol.1〜100のHTML版は、もちろん削除せずこのまま公開を続けますので、引き続き見ていただけると幸いです。次回からはアメーバブログ版でお会いしましょう。

Vol.99 酒を片手に新型特急車両のデザイン案 2015年10月12日
お知らせ:架鉄@コラムシフトは、Vol.100をもって現在のHTML版を終了し、Vol.101よりアメーバブログ版に移行します。 なお、Vol.99〜100は移行準備期間として、HTML版とアメブロ版の両方に記事を掲載させていただきます。

Hot Wheelエアロポッド

燦柊浪漫鉄道では、今も一部特急で使われている老朽化した363系電車(東武1800系のデザインをモチーフにした車両)の置き換えを順次行なっていますが、 今その置き換え用車両のデザインを考えている最中です。
そんな中で、先日飲んだ帰りに西友で買い物をしていた際にミニカーの「Hot Wheels」が目につき、 その中に非常に気になるデザインの車があったので買ってしまいました。ちなみに値段は税抜きで190円と安いです。
「エアロポッド(Aero Pod)」というトラック(カミオン)型の車で、スラントノーズ風の前面形状と屋根まで回り込んだ大きなフロントウィンドウと緩やかなカーブを描く屋根が特徴的です。 何となくではありますが、鉄道車両のデザインにも通じるものがありますね。 酒飲んだ勢いで買ったおもちゃを架空鉄道車両のデザインモチーフにするなんて、お前は何をふざけているのだと言われそうですが、この形状をモチーフに新しい特急型電車のデザインをしてみたくなりました。

ペンギン号

また、今日は大宮花の丘農林公苑に出かけたのですが、その際に子供が乗って遊ぶバッテリーカーが2台ありました。1台は消防車型だったのですが、もう1台がこれ。 その名も「ペンギン号」です。これをデザインの参考にしようと思いついたのも、酒が入っているときなのでちょっと恐縮です。
ペンギンの顔が、物真似タレントのコロッケがよくやる表情みたいでふざけていますが、鳥をモチーフにした先頭デザインはスピード感があっていい気がしませんか?濃いめの青と黄色は、イギリスの高速列車のデザインにも通じる気がしますし。 車両のデザインに使うときは、もちろんこんなふざけた表情にならないようにしますが、いかがでしょうか。

というわけで、酒を片手に新型特急車両のデザイン案について生ぬるく語らせていただきました。新型特急車両は2016年度に登場予定で、まずは363系を使用している特急「くれかぜ」(上都〜番座)、「白妙」(上留田〜番座)に投入する予定ですが、 それまでに納得のいくデザインに煮詰めていきたいと思います。

Vol.98 燦柊浪漫鉄道で『富士そば食堂車』の連結を開始します(嘘)。 2015年10月8日
富士そばのミニルーロー飯セット

仕事帰りに富士そばに入ったのですが、台湾出店1周年記念メニューとして「台湾屋台の味・ミニルーロー飯セット」が売っていたので、これを食べてみました。 ルーロー飯(魯肉飯)は、台湾では牛丼などのように手軽によく食べられている料理だそうですが、出てきたルーロー飯はそぼろご飯にうずら卵を載せただけの本当に簡単なもので、味付けも中華風というよりは和風でした。 正直なところこれがルーロー飯なのかは「?」なのですが、まあまあ美味しかったです。
で、富士そばと架空鉄道に何の関係があるのだ!と苦情を言いたい人も多いことかと思いますが、 富士そばといえば、今から十数年前に架鉄に「アンナミラーズ食堂車を連結します。」と言っていた誰かに対抗して、「男だったら富士そば食堂車を連結しろ!」と言っていた人がいたり、 それと同時期に当時の知人の戸田恵梨香似の怖いお姉さんが、「総武線(各駅停車)にも食堂車を連結してほしい。富士そばでもいいから。」と言っていたことを思い出し、今回のコラムを書かせていただきました。
現在、架空鉄道で食堂車を設定している人は少数派ですが、先に述べた「十数年前」のある時期は、ある人のパロディーも含めて食堂車を設定している架鉄が多かった気がします。 食堂車で向かいの席に座った熊に自分が食べられてしまうシュールな架鉄だったり、ある人への皮肉を込めて焼肉食堂車と牛丼ビュッフェを設定した架鉄だったり、色々ありましたね。
私も燦柊浪漫鉄道に食堂車を設定していますが、振り返ってみればその歴史は、小学生だった1988年(昭和63年)頃まで遡ります。架空鉄道を妄想し始めたのもだいたいそれくらいですが、 当時は「北斗星」の登場や、オリエント急行の来日の影響を受けて、 やたらと豪華な列車を妄想していました。20〜30両くらいの超長大編成に食堂車が4両あるという列車で、4両の食堂車の内訳は「JRにあるような一般的なもの」、「ファーストフード」、「寿司」、「ラーメン」といった感じで、 単に当時の自分の好みを反映したものです。その後は設定変更を頻繁に繰り返し、地元のカレーが美味しい大衆食堂をその店に無断で食堂車にしてしまったり、小田急ロマンスカーのような車体で先頭車が食堂車になった電車を妄想したり、 近鉄のスナックカーや、車端部に売店カウンターがあった東武5700系をモチーフにした車両を妄想したりと色々やっていました。当時まだ食堂車に乗ったことはなかったのですが、とにかく食堂車やビュッフェの類が好きだったわけですね。
そこで原点に立ち返り、燦柊浪漫鉄道で『富士そば食堂車』の連結を開始というふざけたタイトルを思いついたわけですが、もちろんこれはあくまでネタです。 しかし、富士そばは店舗限定とはいえ、「パキスタン風激辛カレーそば」、「パクチー入りカツ丼」、「フライドポテトそば」など、面白いメニューを次々と生み出すので、私の架鉄も食堂車メニューを設定する上で見習いたい点が多いです。

Vol.97 時刻表記念日のGoogleロゴが架空鉄道に! 2015年10月7日
2015年10月5日のGoogleロゴ

本当は5日のうちにこの記事を書きたかったのですが、時間がなくて書くのが遅れてしまいました。
1894(明治27)年10月5日、庚寅新誌社から日本初の本格的な時刻表「汽車汽船旅行案内」が出版されたため、この日は時刻表記念日になったそうです。 「汽車汽船旅行案内」は福沢諭吉の勧めにより手塚猛昌が発行したもので、イギリスの時刻表を参考に、発車時刻や運賃のほか、紀行文等も掲載されていたとのことです。
その記念日に伴い、Googleのトップページのロゴが面白いことになっていました。時刻表を模したものになっているのですが、区間が「足柄山〜竜宮城〜月の都」となっていて、 駅名は、足柄山から順に、しょうじょう寺、かっぱ石、稲穂県、かちかち山、ある山里、鬼ヶ島、竜宮城、丹後の国、大江山、八郎潟、イーハトーブ、月の都となっています。 列車愛称付きの特急や快速もあり、特急は、「ぶんぶく」、「こぶとり」、「ころりん」、「ここほれ」、「おんがえし」で、快速は「うさぎ」、区間快速は「かめ」という具合になっていました。
駅の位置関係や特急列車と普通列車の速度差など、細かい突っ込みどころは沢山あるのですが、これは紛れもなく架空鉄道であり、まさかGoogleがロゴに架空鉄道の時刻表を採用するとは思わなかっただけに、非常に驚きました。 また、Twitterを見ていたら、この時刻表をダイヤグラム化してしまった強者もいたようで、それが公開されていました。路線やダイヤを設定したら、あとは車両も設定したいところですが、誰か設定した人はいないでしょうか。 ラインカラーは当然、Googleロゴと同じカラーで。
鉄道趣味や創作趣味の中でも特にマニアックな分野と思っていた架空鉄道も、Googleロゴに採用されて市民権を得たというか、決してマニアックすぎる分野ではないと感じた瞬間でしたね。


Vol.96 競走馬輸送と鉄道 2015年10月2日
東京競馬場入口の馬の像

今朝は、馬バスとかバスの形をしたトラックと言われている競走馬輸送車(馬匹車)を運転するという変な夢を見て目が覚めましたが、この夢がきっかけで馬匹車について調べていたら、JRAのホームページで 興味深い記事を目にしました。
競走馬の輸送は現在は全て自動車輸送のため、鉄道は一切使われていませんが、かつては鉄道による輸送が行われていて、自動車の馬匹車が登場したのは戦後すぐの1947年のことだそうです。最初の馬匹車は、現在のような形ではなく セミトレーラー型だったそうです。その後、1955年頃から道路整備の拡大などに伴って一気に自動車輸送に切り替わったそうです。
そこで、「現実の鉄道には無い、あるいは無くなってしまったものを自らの架鉄世界では生かしていきたい。」というコンセプトを取り入れた燦柊浪漫鉄道で 競走馬輸送を行なってみたいと考えたのですが、調べてみると馬の輸送は普通の家畜輸送とは全く異なり、輸送中の馬の細かい体調管理なども求められるという非常に大変な業務であることが分かりました。 (いざというときに同乗の馬主がすぐに馬の元に行かれるようにしているのも、馬匹車が乗員室と荷室が一体のバスのような形をしている理由の一つだそうです。) 鉄道輸送を行なっていた時代は、関西馬の関東以北への輸送など長距離遠征となった場合は、貨物列車のダイヤや運行状況がレースの勝敗をはじめ色々な意味で結果を左右させるなど、非常に難しい問題があったそうですし、 列車内で1頭でも体調不良となれば、該当する貨車にいた競走馬全馬が、防疫の観点から隔離される事もあったそうです。そして、有力馬が帯同馬のせいで出走取消となれば大問題になるから、なるべく単体での輸送をしたくても、 家畜用貨車を1両丸ごと借りるのは、必要以上にコストのかかる話であり、非常に効率が悪かったそうです。 そして何より、厩舎やトレーニングセンターから競馬場に直送できずに馬の積み替えの必要があるのも、鉄道輸送だとデメリットとなりますね。車両への乗降に伴い馬にかかるストレスも大きいでしょう。
結論として、モータリゼーションの発達した現代社会において競走馬を鉄道輸送するのは、事実上不可能ということになりましたが、歴史上において「〇年まで鉄道で馬の輸送を行なっていた」というくだりを加筆することはできそうですので、 これについてはもう少し勉強をしてみたいものです。


1ページ 2ページ 3ページ 4ページ 5ページ
6ページ 7ページ 8ページ 9ページ 10ページ
11ページ 12ページ 13ページ 14ページ 15ページ
16ページ 17ページ 18ページ 19ページ 20ページ

ホームに戻る

inserted by FC2 system