軍艦島上陸記
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65号棟と端島小中学校

65号棟
65号棟
1945(昭和20)年に建てられた建物で、島内最大の建物です。手前の空地は校庭、左隣の建物は端島小中学校、右隣の建物は端島病院です。 物資不足の戦時中でありながらこれだけの建物が作られた背景には、やはり戦争に伴う石炭需要の拡大があったのでしょう。当時の船や製鉄などの動力は石炭。採炭はまさに軍需産業だったわけですね。
裏は中庭があり、かつては児童公園だったようですが、現在は瓦礫の山と化していて非常に入りづらくなっています。
建物内部はすべて工員住宅となっていますが、各部屋とも現在の生活水準と比べると極めて狭く(6畳1間だったと思う)、トイレも共同(しかもぼっとん)となっています。 そして風呂も共同浴場となっています。さらに古い大正時代の建物になると、台所すらなかったそうです。
各居室内部ですが、なぜか家財道具などの一部が残されたままになっていて、当時の絵本、教科書などが床に散乱していました。夜逃げしたわけでもないのになぜ・・・と思いたくもなりますが、 当時の生活の様子を垣間見ることができます。 昔のマンガ・雑誌や飲み物の空き瓶なども多数残っていました。それらがきれいなままで残っていれば、コレクターの人たちが 高い値段をつけて買ってくれるでしょうけど、残念ながら荒らされたり風雨にさらされたりで状態のよいものは全くありませんでした。


端島小中学校
船着き場のはしごを登ると学校の校庭に出ます。そのすぐ横にある建物がこの学校です。「小中学校」という言葉から木造の小さな校舎を連想される方も多いかと思いますが、 隣接する65号棟と同様の7階建ての鉄筋コンクリートの建物です。こちらのトイレは水洗便所になっていました。校舎内は風雨や人為的な荒らし行為で極めて荒れ果てていて、 床には机や椅子の残骸、教科書や教材等が散らばっていました。特に板が剥がれて骨組みだけになった黒板の不気味さは半端でなかったです。
また、裏の体育館は昭和45年築と、他の建物に比べるとダントツに新しいのですが、 床も屋根も剥がれ落ちているためとても入ることのできない危険な状態でした。学校といえば怪談の定番スポットだけあって、どの教室も極めて不気味でした。


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