KNK・キャブオーバーバス(1966年式) |
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1950年代終わりごろになると、これまでのボンネットバスより多くの乗客を乗せられる箱型のキャブオーバーバスが登場しました。現在の大型バスの多くは後部にエンジンを置いていますが、
キャブオーバーバスは従来のボンネットバスの駆動装置をそのまま流用しているため、エンジンは先頭部運転席下に配置されています。スペースを有効に活用できる反面、エンジンカバーが車内に張り出しているため騒音に加え
夏季は熱気もひどく、乗客の評判はあまりよくなかったとのことです。すぐにリアエンジンバスが登場したため、その後の増備はリアエンジン車が中心となりました。
(*)その後もキャブオーバーバスは現在まで小型車を中心に一部導入されていますが、静粛性や快適性は当初よりも大幅に改善されています。
新製配置は燦柊中央鉄道バス吉祥峰営業所(現・碧嶺浪漫バス吉祥峰営業所)で、晩年は原下営業所(現・沙白浪漫自動車原下営業所)に配置され、1982年まで活躍しました。
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いすゞ・大型バスCJM500(1981年式) |
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1980年前後より路線バスにも冷房装置が普及し始め、また従来車より低床化されるなど、サービスや乗降性の改善が進みました。この車両は、冷房化・低床化の初期の車両で、
富士重工製の車体を架装していますが、いすゞ車には川重車体や西日本車体など他社の車体を架装したものも存在しました(いすゞ+西日本車体は中古購入車に限られ、当時のモデルでは新車での導入例はなし)。
1981年5月に升塚営業所に新製配置され、1996年に喜楽営業所に転属し、2000年に引退しました。登場当初は燦柊中央鉄道バスの路線車標準色でしたが、晩年は現在の沙白浪漫自動車の路線車標準色に塗装変更されています。
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いすゞ・大型バスBQR460(1982年式) |
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日本の現実世界ではこの車両が登場した1982年頃の時点でキャブオーバーバスはほとんど存在しておらず、ツーマンバスもごく一部に残るのみでしたが、燦柊連邦共和国では大都市部を除くとまだまだキャブオーバーのツーマンバスが活躍しており、
既にリアエンジン車が主流になっていた時代ながらツーマン路線専用にキャブオーバーの大型車も少数ながら新造されていました。
トラックシャーシをベースにした「K-BQR460」は検診車などの特装車として用いられ、当時のいすゞ大型トラック「ニューパワー」の前面に特装車メーカー製のバス風ボディが組み合わされていましたが、バスとして製造されたものはおそらく実在しなかったと思われます。
燦柊中央鉄道(当時)ではベース車のシャーシに燦柊国内コーチビルダー製のバス車体を組み合わせ、地方路線のツーマンバスとして使っていました。この車は登場当初非冷房車でしたが、快速バス用車両などでは新製当初から冷房車だったものも存在しました。
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ボルボ・連節バスB10M(1985年式) |
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1985年に空港バスの需要急増の切り札として連節バス10両が投入されました。車体は富士重工製で、かつてつくば科学万博のシャトルバス(のちに東京空港交通に転用)で使われていたものと同型です。
登場時は「次世代型のバス」として注目を集めましたが、小回りが利かず通行ルートが限られるなどの問題からそのとき限りの導入となり、その後の大量輸送用バスは道路占有面積が小さく小回りが利く2階建てバスに移行し、
1987年度より現在までイギリス製シャーシの香港タイプ2階建てバスが導入されています。
晩年は空港バスから撤退し、バス需要が多く道幅に余裕もある桃園営業所と長宗営業所に転属し、朝夕の通勤通学輸送を中心に使われてきましたが、2004年9月30日付けで全車が引退となりました。
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