出井川
2009年7月16日

第1弾は板橋区を流れる出井川。
板橋区大原町の「出井の泉公園」が源流となり、ここから首都高5号線下、志村三丁目駅付近を流れ、東坂下2丁目にて新河岸川に合流します。 首都高5号線より下流部は旧流路がそのまま出井川緑道として整備されていますが、上流部は高速道路の高架下になったり生活道路になったりで 川の痕跡はほぼ消滅してしまいました。他にも小さな支流が多数あったと言われていますが、いずれも消滅していて流路跡を発見することは困難です。
今回は河口より上流に向けて進みます。



河口から志村三丁目駅付近までの地図

写真@

東坂下2丁目、新河岸川との合流地点。
大きな水門があり、ここで新河岸川に合流します。
写真A

新河岸川沿いにも道があり、一見つながっているように見えますが、フェンスで仕切られていて行き止まりとなっています。 行き止まり地点は砂利が敷かれてグラウンドのようになっていますが、グラウンドと言うには少し狭いです。
写真B

東坂下1丁目、中山道(国道17号線)との交差地点。
暗渠化以前のものと思われる橋が残っています。
写真C

坂下1丁目、住宅街の中。
このあたりは住宅街の中をクランク状に曲がりくねっています。
写真D

志村3丁目、駅前駐輪場。
ここから都営三田線の高架沿いになりますが、 この先しばらくは河川跡が遊歩道ではなく駐輪場になっています。
写真E

志村3丁目、高架下。
都営三田線沿いの駐輪場はこの少し手前で終わり、再び遊歩道になります。 「出井川橋梁」の文字がここが川であったことを伝えていますが、電車に乗っている人は川を渡っているなんて気付かないでしょう。
余談ですが、都営三田線は泉岳寺には乗り入れていませんが、泉岳寺始発で計画されていたため橋の表記も泉岳寺起点で記載されています。 (その後、目黒まで延長開業した際に目黒起点に改められています。)



志村三丁目駅付近から見次公園付近までの地図

写真F

志村3丁目、首都高速5号線との交差地点付近の公園。
三田線から首都高までの間は志村第四中学校の横を通ります。
写真G

前野町4丁目、首都高速5号線下。
首都高を越えて約300mは以前の河川跡とはっきり分かる緑道がありますが、 すぐに高速下に入ってしまいます。親水公園風にして人工的にその名残を留めてはいますが、流路を示すものは見つかりません。
写真H

前野町4丁目、見次公園内。
出井川には複数の水源があったようですが、その一つと言われているのがここです。 池は人工的に作られたものだそうですが、湧水による池だそうです。
写真I

同じく見次公園内。
公園の斜面下に草が生い茂っているだけの湿地帯があり、 そこから極少量ながら水が池に向かって流れ込んでいました。ここから水が涌き出ていると思われます。
写真J

首都高沿いに水門があり、池の水はここから道路下の暗渠に向かって流れ込んでいました。



見次公園付近から出井の泉までの地図

写真K

泉町、住宅街の中の細い道。
首都高からようやくはずれました。 この道は両脇とも高台になっていて、ここは谷底となります。山間の沢のように細い流れが谷底を流れていたのでしょう。
写真L

泉町、出井の泉公園。
周囲は崖になっていて公園の場所が谷底のようになっています。 水のある場所ということで縄文時代から人が居住していた痕跡があり、大正時代くらいまでは収穫した練馬大根をこの川で洗ったりもしていたそうですが、 暗渠化後はその存在も忘れ去られていました。近年になって埋め立てられてしまう予定でしたが、 調査の結果まだ水が涌き出ていることがわかり、公園として整備されたとのことです。
写真M

出井の泉公園
井戸も再整備されていますが、使用できません。



首都高志村料金所付近から常盤台パークハイツ付近までの地図

写真N

前野町5丁目、支流の分岐点。
首都高志村料金所脇に支流との分岐点があります。 支流の名前は、資料が何も見つからず不明ですが、合流地点付近ではかなりの川幅があったようです。この先100mくらい舗装されて幅も広いのに車が通れず、 その道路に面して玄関を設置している家が1つもない謎の道路が続きますが、これが川だったと知っている人は少ないことでしょう。
写真O

前野町5丁目
道路の中央に遊歩道があるいかにも川の跡である道がしばらく続きます。
写真P

道が細くなって遊歩道も終わり、その先は曲がりくねった生活道路になりますが、 いかにも川を埋め立てただけという雰囲気があります。
写真Q

常盤台パークハイツ付近で道路は行き止まりになり、周囲は三方を崖に囲まれた谷底のような場所になります。 行き止まり地点の崖からは水が染み出ていて、これも湧水と思われます。


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