江川堀
2010年11月8日

久々の探訪となる第2弾は、荒川区を流れていた江川堀。かつてこのあたりは田園地帯だったとのことで、灌漑用水だったようですが、 戦後は宅地化が進んで川もドブ川となってしまい、ついには暗渠化されて消滅しました。流路跡はありふれた生活道路だったり「江川堀」の 名を残す緑道だったり、路地裏の薄暗い細道だったりと、短いながら色々な顔を持つのも面白いです。 尾竹橋通りとの交差地点には橋の遺構があり、昭和6年(1931年)製の親柱が4本残されています。



河口から町屋4丁目・上智厚生クリニック付近までの地図(Yahoo!マップ使用)

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写真@

町屋7丁目、隅田川との合流地点。
コンクリート製の盛り上がりがかつての川の跡らしいです。水門があったかは不明です。
写真A

尾竹橋通り(都道313号線)との交差地点には、かつてここに橋があったことをさり気なく伝えるように 親柱が4本残っています。写真の親柱には「荒木田新橋」、その対岸に当たる親柱には「昭和六年十二月」と刻まれていました。
写真B

旧荒木田新橋までは流路跡もまっすぐな道でしたが、 尾竹橋通りを渡り町屋6丁目に入ると、流路跡は大きく蛇行します。
写真C

町屋6丁目の緑道「江川堀プロムナード」。やはり大きく蛇行しています。 立派な名前の付いた緑道ですがその長さは100mにも満たず、写真の前方に見えるカーブの先にある五差路で終わってしまいます。
写真D

江川堀プロムナードの終わりからしばらくは、無駄にやたらと広い道があり不思議に思っていましたが、 この散策で初めて江川堀の流路跡だと気付きました。川があった頃は川があって両岸に道があったから広いのでしょうか。
やたらと広い道はわずか150m程度で急に終わり、その先は細い生活道路とこの非常に細い道に分かれます。人がやっとすれ違えるくらいの非常に細い道 のほうが、江川堀の流路跡です。川と言うよりは民家裏のドブというか水路のようですね。
写真E

町屋5・6丁目境にある生活道路との交差点。非常に細い道はこの先もしばらく続きます。
写真F

細い道をようやく抜けて広い通り(旭電化通り)に出ましたが、通りを渡ったその先にも細い道は続いています。 (タバコ店右に止まっているバイクと乗用車の間)
写真G

町屋4丁目の大門小学校付近の流路跡。この付近は車が通れるくらいの道が並行していることもあってか、江川堀跡の道は ほとんど使われていないようです。ほとんどの民家もこの道に背を向けるように建っているため、道としてはあまり機能していないようで、 隣接する民家の私物が路上に飛び出して通りにくい場所もありました。
写真H

町屋4丁目。これまでは細いながらも舗装された道でしたが、最後の約50mは未舗装。
未舗装の道は上智厚生クリニックにぶつかったところで突然途切れてしまい、これ以降は流路を確認することはできませんでした。 この先しばらく町屋と東尾久の町境になるので、そこを川が流れていた可能性もありますが、この先には町境に普通の生活道路はあるものの 確実に流路跡と分かる細道はありません。


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