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名(迷)列車列伝
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その1〜ローカル輸送の切り札「1形蒸気動車」
2003年12月






1908年に発足した燦柊中央鉄道は、それまで僻地とされ人のあまり住まなかった土地にまで路線網を広げていった。
こうしたローカル路線では従来の蒸気機関車牽引列車では輸送過剰気味になる。したがって、非電化路線でも電車のように短い編成で運転できる車両の開発が急がれていた。 その切り札として1912年に登場したのが1形蒸気動車である。客車に小型機関を搭載することで1両単位での小規模な輸送が可能となったのである。1916年までに46両が製造され、八志線などに投入された。
しかし、現場の期待に反して乗客からの評判は決してよくなかったそうだ。それもそのはず。機関がすぐ近くにあるため、振動や騒音から来る乗り心地の悪さに加え、客室内に機関を置いたせいでトンネルに入らなくとも煤煙まみれという代物だったからだ。 また、1両単位での運行ができる反面、機関車のパーツを無理矢理客車の一部分に詰め込んだような複雑な構造から保守には苦労を要したともいわれていて、開発時の目標であった運行コスト削減も目立った効果はなかったようだ。
やがて、1930年代にガソリンカーなどが登場すると一気に活躍の場を狭め、1943年を最後にその姿を消してしまった。引退後の1形蒸気動車は、25号車が東山車両基地に保存されたほか、数両が車両メーカーや個人に引き取られた。

それから56年の歳月が流れた1999年。1912年製の7号車を引き取り、店舗として使用していたステーキ店が廃業のため同車の処分を検討しているという話が出た。その際、古くから店主と親交のあった永作副社長 (当時)が「スクラップにするのであればうちで引き取らせてほしい」という意向を示し、それに基づいて調査したところ、保存状態は思いのほか良好であった。 そのことから復元・動態保存の案が急浮上。コスト削減の権化と呼ばれたボブ・フビスター社長(当時)の「子供だましのお遊びに無駄金を使うな。」という反対を押し切って2000年から有志の力も借りて全面的な修復作業に入った。 永作副社長も自ら作業を手伝い、このことが大きな話題を呼んだりもした。そして、3年の歳月をかけた修復作業がようやく完了し、この6月には実に60年ぶりに機関に火が入れられた。順調にいけば今年度中にも線路上を走る姿が見られるかもしれない。

最終増備車の43〜46号は改良され、機関室と客室が分離された。



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