愛知旅行記2006
2006年11月8〜10日

愛知旅行記2006写真集もよろしく。


11月8日
22:30新宿の都庁前。案内に書かれていた集合場所を目指す。都庁の近くではあちこちに係員が立って既にバス乗り込みの案内をしていた。
今回利用するのは、「格安夜行バス」と案内されている某旅行会社企画の「ツアーバス」。ツアーバスは路線バスの認可を受けた「高速バス」とは違い、 観光バスをツアー名目であたかも路線バスのように運行している故、「ニセ高速バス」とか「脱法路線バス」などの悪名もあるが、 あまりの安さに思わず手が伸びてしまった。
都庁の前には名古屋行きと大阪方面行きが4台並んで止まっていて、案内されたのは一番後ろのバス。先頭の大阪行きは高速バス同様トイレ付き、 その後ろの2台も比較的新しいバスだが、名古屋行きはやけに車両が古い。でも安いのだから文句は言えまい。

23時ちょうど、都庁の下の階の明かりが一斉に消された。それに合わせて定刻どおりにバスは出発した。
乗客はほぼ満員。高速バスは横3列シートが一般的だが、これは普通の観光バスだから4列シート。はっきり言って狭く居住性は悪い。 おまけに隣の客のヘッドホンが思いっきり音漏れしているではないか!絢香の「三日月」がはっきり聞こえてくる。 こちらもヘッドホンで音楽を聴く。1曲目は倖田來未「夢のうた」。寝ようとしているときには最適なバラードだと思うが、 もちろん隣の客みたいにならないよう音量を抑えた。
バスは甲州街道、環八通りを経由して東名高速に入り、0時過ぎに海老名SAで最初の休憩。


11月9日
目が覚めて時計を見ると3時50分。既に高速を降りて一般道を走っているようだ。コンビニの「豊川店」という看板が見えたから、 豊川あたりを走っているのだろう。 4時45分、東岡崎駅に到着。香嵐渓に行くバスはここから出るが、あまりにも到着が早すぎる。今降りてもバスはないし、漫画喫茶みたいな休める店が あるかどうかもわからない。ここでは降りずに終点の名古屋まで乗ることにした。
途中豊田市駅に止まり、6時15分ほぼ定刻どおりに名古屋駅到着。51階建て245mのツインタワー「JRセントラルタワーズ」がそびえ建つ。
名古屋駅のツインタワー

今回はまず、昨年開港した中部国際空港「セントレア」を見てみようと思っていたので、セントレアへの直通電車の走る名鉄の乗り場を目指す。
ここで2日間乗り放題で3800円というチケットがあることを知った。今回は名鉄だけでそれくらいの金額を使うことが予想されるコースになるし、 余った時間にふらっとどこかで途中下車とかもできるから、これはお得。というわけで窓口で早速購入した。
真っ直ぐセントレアに行こうかと思ったが、時間がまだたっぷりとあるのでその前に岐阜まで行ってみることにして、逆方向の電車に乗車。
名鉄といえば、パノラマカーはじめ個性的な車両の多い鉄道であるが、やってきた岐阜行きの急行はごくありふれたロングシートの電車。 少々がっかりだが、取り敢えず乗車。
地下の名古屋駅を出発し、しばらくすると地上に出て東海道本線と並走。その後も東海道本線と離れたり並走したりを繰り返し、30分程で岐阜に到着。
岐阜に来たのは7年ぶり。駅前通りには路面電車のレールが敷かれているが、ここでいくら待っていても電車は来ない。 昨年までは名鉄岐阜市内線という路面電車があったが、車社会の進展や利用客減を理由に名鉄や行政の手で一方的に廃止されてしまった。 ちなみに、7年前に来たときはこれに乗って終点まで行ってみたことがあったが、レトロな駅舎と菜の花が美しかったのを覚えている。
近年、全国的に路面電車の再評価がされるようになったにもかかわらず、名鉄や岐阜市はなんて惜しいことをしてしまったのだろう。
いくら待っても、もう電車が来ることはない。

岐阜を後にし、今度はいよいよセントレアに向かう。中部国際空港行きの快速急行は、パノラマカーが来ることを期待していたが、さっき乗ったのと またしても同じ車種。
今度は東京でいうところの上り電車。朝の通勤時間帯ということもあって、東京ほどではないが名古屋への通勤客で混雑している。 それにしてもホームを走る人が多いこと。とにかく走る。走る。発車ベルが鳴り終わって間に合うわけがないのに走る。 これは地域性なのだろうか。整列乗車は守られているし、走ること以外の全体的な乗車マナーは東京に比べるとずっといいのだが。
首都圏と一緒で、名古屋を過ぎるとやはりどっと人が降り、名古屋の2つ先の神宮前で線路が豊橋方面と中部国際空港方面に分かれ、 乗客はさらに少なくなった。
その後、知多半島を南下し陶器や競艇で有名な常滑を過ぎると目の前に海が見えてくる。そして長い海上橋を渡り中部国際空港に到着。
空港駅は地下にあるものが多いがここは地上ホーム。しかもチェックインカウンターが改札から見えるくらい近い。荷物を持っての移動が多い 空港だけに、エスカレーターや長い通路での移動が少ないのはよいことだろう。
スカイデッキより

スカイデッキでしばらく飛行機や風景を眺めてから再び駅へ。
今度は待ちに待ったパノラマカーがやってきた。展望席つきの列車だけに迷わず先頭車に乗ることにした。 車窓の風景はどこにでもあるようなありふれた町並みだし、先頭からの風景はこんな電車に乗らなくとも運転席越しにだって見ることはできるが、 なぜか面白い。それがこの列車の魅力なのだろう。かなり古い車両であるにもかかわらずいまだに根強い人気があるのもうなづける。
30分ほど先頭車からのパノラマを楽しんで神宮前で下車。今度は香嵐渓行きのバスが出る東岡崎に向かうため、豊橋方面行きに乗り換える。
ここから20分ほど乗って東岡崎で下車。ちなみに「東」と付くがこちらのほうが岡崎市の中心街である。ここで昼食を食べることにし駅前をウロウロするが 見つからず、結局駅ビルの「岡ビル百貨店」内にある喫茶店に入ることにした。この駅ビルは昭和30年代の建築らしく見るからに古いのだが、 中の喫茶店も木目やレンガをふんだんに使った昔懐かしい雰囲気だ。ここでランチのあんかけスパゲティを頼んだ。 混雑していただけに出てくるのが遅く、バスに乗り遅れそうになったが何とか食べ終えて、香嵐渓方面足助行きのバスに乗車。 あとは一路香嵐渓を目指すのみだ。
巴川・待月橋

1時間ほどバスに揺られて香嵐渓に到着。
紅葉が見頃を迎えると大渋滞するそうだが、早く来すぎたのと平日ということもあってあまり混雑していない。 見頃は11月中旬以降なのでまだまだ先だが、ところどころに色づいた葉を見ることができた。
巴川沿いを歩いて奥のほうにある三州足助屋敷に入ってみる。生きた民俗資料館として伝統技術の継承を目的としている施設で、 その場で伝統工芸品を実演販売している。また、茅葺き屋根や蔵や水車小屋などの昔の建物が保存されているのも面白い。
数少ない紅葉

香嵐渓をぐるりと一周してバス停に戻る。今度は百年草行きというバスに乗り終点まで移動する。
百年草で下車し歩いて30分強なのだが、詳細な地図を持っていなかったため曲がる道を間違えてしまう。 しかも電話は圏外だ。ようやく発見した地元のおじさんに道を聞いたところ、なんと宿の主人の知り合いだという。 その場で電話をしてくれ、10分ほどで宿の車が到着した。
歩いて30分強と出ていたが、かなり狭く険しい道だ。車だと10分程度だったが、拾われてから宿の間に途中1軒も民家がなかっただけに 心理的にはそれ以上に感じた。
廃校舎を改装したユースホステル

宿は小学校の木造校舎として使われていた建物を改装したユースホステル。学校は10年位前に廃校になったそうだが、周囲に民家は全くない。
案内された部屋は、林間学校を思い出す2段ベッド2組に小さな座敷の4人用相部屋だが、他に宿泊者はいなく貸切状態である。 部屋にテレビはなくラウンジがコミュニティスペースとなっているが、ここにもテレビはない。おまけに電話も圏外、ラジオも持っていないとあって、 この一晩は一切の情報から隔離された生活を送ることになりそうだ。
それにしても、改装されているとはいえTVもラジオもない古い校舎に1晩1人きりとは不気味なものだ。
この部屋を独り占め

夜は宿が主催する香嵐渓ライトアップ見学ツアーに参加。
11月1日から30日までの期間は毎年恒例の香嵐渓もみじまつりが行なわれ、期間中は夜になると木々がライトアップされ美しいというので、 参加することにした。19時半に宿を車で出発し香嵐渓へと降りる。香嵐渓なら豊田、岡崎市街地から1時間程度と意外と近いこともあって、 会社帰りのサラリーマン風の人もちらほら。そのためか夜は結構混雑している。
昼間歩いたコースとほぼ同じコースを回ったが、ライトアップされた木々は全く違って見えるし、木々と一緒にライトアップされた六角堂なども美しい。
ライトアップは21時に消灯されるが、ゆっくり見たり写真を撮っているうちに気がつけばぎりぎり近く。紅葉ライトアップを十分に堪能して宿へと戻った。
ライトアップされた紅葉

戻ったときに空を見上げると、雲ひとつなく無数の星が輝いていた。周囲に他の建物がなく、宿の外の明かりも必要最小限しか点けていないおかげである。 これだけの星空を見たのは何年ぶりだろう。ライトアップされた紅葉もよかったが、ライトアップされていない星空もまたいいものである。


11月10日
前の晩はバスの車内であまり眠れなかったこともありぐっすりと寝てしまい、気がつけば7時半に宿の人に御飯ですよと起こされてようやく目が覚めた。
朝食を食べてゆっくりしてから9時半に宿を後にし、山を下りる。今度は足助城を見たいため、行きとは逆方向へと下りる。
こちらも狭く険しい山道が続くが、ほとんど下り坂ということもあっていくらか楽だ。1時間ほど歩いて足助城に到着。
足助城の本丸と長屋

足助城は戦国時代にこの地を治めていた鈴木氏の居城で、山の上から香嵐渓や足助の中心街を見下ろす場所にある。
戦国時代の山城は全体的に質素な作りで、名古屋城などのような華やかな天守閣はないが、本丸の高櫓と長屋など各所が忠実に再現されていて、 当時の生活ぶりや先人の知恵などといったものがよりリアルに伝わってくる。また若干標高が高い分、紅葉の度合いも高い。
南物見台から山のほうを見る

足助城を見たあとは再び香嵐渓に下りる。ちょうどいい時間なので昼食にしたいところだ。 香嵐渓のビジターセンター横にログハウス風のレストランがあって入ってみようとしたが、ランチ1500円と高いのでやめにした。 某女装タレント風の店員がこっちを見ていたが、入ろうとしてやめただけに「がっかりだよ」と言われそうだ。
今回唯一見かけた猫・ログハウス近くにて

待月橋に行くと河原で弁当を食べている人も多く見かけるので外で食べてみようと思い、売店にて鮎ごはんの焼おにぎりを購入。 酒を勧められたので、ピナコラーダも買ってしまった。河原に下りようと思ったが、売店のそばにテーブルが出してあるので そこで紅葉を見ながら食べることにした。熱すぎず寒すぎないこの時期の晴天の下で食べるのもまた美味しい。
この日の昼食

昼食を食べた後はバス停に向かう。行きと同じく東岡崎行きのバスで戻ろうと思ったが、猿投行きのバスが先に来るのでこちらに乗ることにする。
途中、西中金から猿投は数年前まで名鉄のローカル線が走っていた。したがって廃止代替バス的な役割をしているようで、この間は駅跡に停車する。 廃止になったとはいえ線路はいまだに撤去されておらず、今にも列車が来そうな雰囲気がした。
30分ほどで猿投駅に到着。地図を見た限りではローカル線の末端をイメージしていたのだが、市街地の中にあって駅舎もありふれた近代的な建物だった。 ここから名古屋本線の知立まで三河線普通電車に乗る。2両編成のワンマン電車だが、あのパノラマカーと同じ豪華な内装で面白い。 しかもロングシートがソファーなのには驚いた。
三河線電車の車内

豪華ワンマン電車で知立に到着。ホームには立ち食いそばならぬ立ち食いラーメンがある。 2両編成の電車から本線に接続する駅でラーメン屋があるところといえば、東武の西新井駅がそうだ。 しかも、知立のラーメン屋の店構えまで西新井のそれによく似ている。それにしてもこんなところで馴染みの駅みたいな駅に遭遇するとは。
あとは特にどこも寄るところがないし、寄っていると15時40分のバス集合時間に間に合わなそうなので、電車に乗って暇つぶしをすることにした。 特急で名古屋に向かい、ここで乗り換えて名古屋から少し北に行った須ヶ口まで行ってみる。
須ヶ口では名古屋方面から来た電車が、岐阜方面と弥富方面に分岐する。小さな車庫があって、ここからの始発電車も多く出ているようだ。 駅前には喫茶店があり、猫の像が立っていたので入ろうかと思ったが、時間がないので写真だけにした。 そういえば、今回は場所柄なのか猫が少なかった。この2日間で足助の街中で一枚撮っただけだ。
名古屋弁でミャーと迎えてくれます

須ヶ口ではどこにも寄らず、喫茶店の猫の像に別れだけを告げて名古屋に向かう。
名古屋に到着したらバス待ち合わせ場所である太閤口噴水前に直行。係員を見つけチェックイン手続きを行い、16時発車の前にトイレだけ済ませて バスに乗り込んだ。
だが、バスは16時になってもなかなか発車しない。あと2人まだ乗っていないので数分待ちますとのこと。 数分遅れて1人は来たが、もう1人は来ないし連絡もないので結局置いていくこととなった。 この遅れてきた乗客、どこかで見たと思ったら行きのバスにも乗っていた。斜め前に座っていたのだが、ビジュアル系を真似たつもりなんだろうけど どうしてもオカマに見えてしまう風貌が印象的だった。どこぞの評論家じゃないから人のファッションにとやかく言うつもりはないけど、 時間だけは守って欲しい。
帰りのバスは行きのとは違って新しめの車両で、座席もフットレストつきで座り心地がよかった。東京までの所要時間は5時間半。 疲れたのであとはこのままゆっくり休んで行きたい。
帰りは名古屋高速万場線、東山線、東名阪を経由して東名高速へ。 途中牧の原SA、海老名SAで休憩し、首都高に入ってからも渋滞することなく順調に来た。21時半の東京駅到着を予定していたが、21時には六本木付近を通過し 目の前に東京タワーが見えるところまで来てしまった。
八重洲口には15分頃着いたが、止める場所がないという理由で駅周辺をもう1周。止められるまでずっと駅周辺をウロウロさせられるのだろうか。 高速バスであれば定められたバス停にすぐ止められるが、観光バスではそれができない。まさに格安ツアーバスの弱点だろう。
幸い1周してきたところで停車場所が見つかり下車。地下道を通って改札へと向かうが、地下道のドアのところでいちゃつきながら歩いていたバカップルが 露骨に邪魔だというような顔をしやがった。確かにいちゃついているところに現れたり、大きな荷物を持って通るのは邪魔だが、露骨に態度に表されると むかつく。京浜東北線に乗ってからも割り込んだり乱暴に押すサラリーマンやオバサンがいるなど、意外と乗車マナーのよかった名古屋圏との 違いに戸惑いを感じつつ、いつもの日常生活に戻ろうとしていることを実感。
家に帰り玄関を開けたところで、この旅は無事終了した。明日からは6日連続勤務が待っている。

その他雑記

名鉄パノラマカー
 
名鉄といえばパノラマカーというくらい絶大な人気を誇ってきた車両です。
先頭車は展望席になっていて鋭い流線型の先頭部も小田急ロマンスカーとよく似た形ですが、こちらは特急料金不要。 窓は特急みたいにカーテン付きだし座席も立派なものを使っていますが、なんと各駅停車にも使われています。
第一線から退いたとはいえいまだにその人気は衰えず、小さい子供が「パノラマカーでよかった」と話す場面も聞かれました。
しかし、第1号車が落成したのは1961(昭和36)年と既に45年も走り続けていて、さすがに老朽化も目立ってきたことから 残念ながら数年以内の引退が予定されています。

あんかけスパゲティ
 
味噌煮込みうどん、きしめん、ひつまぶし、天むすなど数多くの名古屋発祥料理、いわゆる名古屋めしがありますが、全国的にあまり知られていない 名古屋めしの一つが「あんかけスパゲッティ」。 ミートソースを名古屋人好みの味に仕立てようとしてできたと言われ、1960年頃に考案されたものだそうです。 あんかけ焼きそばの麺がスパゲティになっただけとはいえ、中華のようなイタリアンのような不思議な味が面白いです。 麺の太さは一般的なものよりもやや太めの2.2mmを使うのがミソなんだとか。
写真は名鉄東岡崎駅ビル内にある喫茶店で、ここはランチがあんかけスパゲティでした。
三州足助屋敷
 
香嵐渓の中にある資料館兼工房で、茅葺き屋根の民家や蔵が移築されていたり、中に鶏や牛が放し飼いになっているのが興味深いです。
「生きた民俗資料館」を標榜し、民具を実際に使いながら山間部の農家の暮らし(明治〜昭和30年頃までを想定)を再現していますが、 単なる再現というよりは、実際に後世へ技術の継承を行なっていくことを目的としていて、本物の職人がその場で木工や機織りなどの工芸品を 製造し販売しているのが特徴です。その職人技は見るだけでも十分楽しめます。

足助城
 
標高301mの真弓山に建つ山城で、戦国時代に足助地区を治めていた鈴木氏の居城です。
鈴木氏は、戦国時代に西三河山間部に勢力をもっていた一族です。そのうち、足助の鈴木氏は、忠親→重政→重直→信重→康重と5代続き、初代 忠親は、15世紀後半の人といわれます。16世紀に入ると、岡崎の松平氏との間で従属離反を繰り返しますが、永禄7年(1564)以降は、松平氏のもとで 高天神城の戦いなどに武勲をあげます。そして、天正18年(1590)康重のとき、徳川家康の関東入国に従って、足助城を去りますが、間もなく家康から離れ、 浪人したと伝えられます。
主のいなくなった城は荒廃した後に自然消滅しまったようですが、平成に入ってから発掘調査が行なわれ当時の土台などが出土。それに基づき 戦国時代の山城としては初めて本格的に復元されました。
観光客寄せの天守閣を作ってしまうような名ばかりの復元ではなく、史実に忠実に基づいた復元をしていることが絶賛されているそうです。


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