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架鉄コラムシフト

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Vol.45 空想都市×EDITORY×地図Bar 2013年8月1日
中村市地図
先日、神保町のイベントスペースで開催されていた「空想都市×EDITORY×地図Bar」に行ってきました。
先日のタモリ倶楽部(残念ながら私は見逃しましたが)に出演されていた地理人氏のイベントで、 第二次世界大戦当時の陸軍某将校製図の欧州戦局地図だったり、プリニウス時代(紀元1世紀頃)の地中海世界の地図、世界の色々な都市の地図など、 国内外の実在土地の地図が色々展示されているのも面白かったですが、ここの目玉は、イベントの名前のとおり架空都市の地図です。
架空都市の中村市(なかむらではなく「なごむる」と読むらしい)や松橋市&大森市などの地図が展示されていますが、架空地図が本物の地図並みのリアルさでなかなか見応えがありました。この架空地図は詳細な町名、道路、川、鉄道(新幹線もあるし地下鉄もある)に加え、バス路線もあるし、百貨店やスーパーやコンビニなどの設定もあったりと本当に驚くほど充実していました。
私も架空国家「燦柊連邦共和国」を書いている架空地図作者の端くれだけに、非常に参考になったのは言うまでもありませんが、正直なところここまでリアルすぎる地図を書く自信はありません。もちろん書けるものだったら、これだけのものを書いてみたいですが。

Vol.44 【鉄道以外の架空物】架空のプロ野球リーグ&チーム 2013年7月14日

数日前に、NHKラジオ第一を聴いていたら、「海外のある人が架空のプロ野球リーグとチームを作って公開している。」という内容の話をしていました。 仕事中の車内でのことだったのでじっくりと聴く訳にはいかず、少しだけしか聴けなかったのですが、燦柊浪漫鉄道の走る架空の国 燦柊連邦共和国の中に名前だけの架空プロ野球球団(2リーグ全16球団)を設定している者としては、とても聴き逃したくない非常に興味深い話だったのは言うまでもありません。
その海外のある人が妄想した架空のリーグとチームなのですが、私のように名前だけの球団を取り敢えず作りましたというチンケなレベルではなく、 架空世界の中で実際に試合が展開されているというかなり本格的なものなのだそうです。試合の展開をどのように決めるのかというと、サイコロを振ってその目の組み合わせで試合展開を決めていくのだそうで、その架空世界では具体的にどのようなペナントレースが展開されているのか、非常に興味深いですね。 また、それを紹介していたラジオパーソナリティー自身も、そこまで本格的ではないけど自分も昔に架空球団をいくつか妄想し、球団保有会社も設定したことがあると言っていました。(保有会社は実在企業の名前を拝借していたそうです)
気になったのでネットで検索してみたところ、ラジオで紹介されていた海外のサイトはさすがに見つからなかったものの、国内でも小説等の一ストーリー としての架空球団だったり、球団を作って架空の選手を在籍させたりと、色々な表現方法を駆使した架空球団が結構沢山存在することが分かりました。 中には、個人ブログなのでここでのURL公開は控えさせていただきますが、選手一人一人の打数や打率や防御率といったデータがしっかりと設定されていて、 「契約金が〇億」と具体的に書かれていたり、選手がFAしたり、トレードされたりもしているといったかなりリアルなものまでありました。
こういうのを見てしまうと、私も今は名前だけの燦柊連邦共和国のプロ野球リーグとチームの設定を充実させたくなりますが、 まずは今ある架空世界の設定を充実させることで精一杯なので、プロ野球に関する設定まではしばらく手が回りそうもありません。

Vol.43 架空鉄道オフ(飯能散歩など) 2013年6月28日
西武池袋線入間川旧橋梁 先日の日曜日は架空鉄道のオフに参加してきました。
今回は西武池袋線の入間川旧橋梁の見学と飯能市内の街歩きです。西武を利用するのは、東横線直通運転開始以来初めてで、西武線内を東急車が走るのを見るのは今更ながら新鮮な気分でした。
まずは飯能の1駅手前の元加治駅に集合して、ここから歩いて入間川にかかる旧橋梁(写真左)を見学しました。旧橋梁は1915年(大正4年)に架けられて1969年(昭和44年)の複線化前まで使われていたもので、現在の橋梁の隣に残り、レンガ造りの橋脚が見事でした。また、ここは複線化に伴い若干のルート変更も行われていますが、その旧線跡は生活道路や宅地になっていて、一見すると線路跡には見えません。
入間川旧橋梁を見終えた後は、電車で1駅移動して飯能で下車。最初は、入間川〜飯能間を結んでいた入間馬車鉄道停車場跡の看板を見てから商店街に入り、昭和中盤の面影が残る商店や、明治時代に建てられたという看板建築、築年代は不明ながらかなり古そうな建物の歯医者、大正11年築の飯能織物協同組合事務所などを見ました。飯能織物協同組合事務所の前には、ここで使われていた物かどうかは不明ですが、絵柄の入った昔の小便器が無造作に転がっていたのが印象的でした。そして、移動途中にはお約束の猫写真も1枚。
その後は東飯能駅方面へと歩き、未成線である西武の飯能短絡線予定地を見ました。地図で見ると分かりますが、西武の飯能駅はスイッチバック構造になっていて、池袋から秩父方面へ直通する列車は飯能で向きが変わります。電車であれば単純に方向転換できますが、機関車が牽引する貨物列車の場合は、機関車を付け替えなければなりません。短絡線はそれを解消するために計画されたものだそうですが、諸般の事情により実現しないまま現在に至り、貨物列車が廃止されてしまった現在ではその必要性自体が薄れてしまっただけに、今後建設される可能性は極めて低いです。 短絡線予定地を見終えた後は、ステーキガストにて昼食。ここは、サラダやライスやカレーやデザートが食べ放題なのが嬉しいですが、私の家や職場近辺にはありません。
食後は、東飯能駅隣接の丸広百貨店飯能店を見学。埼玉県内でのみ業務展開する丸広百貨店は現在は川越に本店を置きますが、実は飯能が創業の地だそうです。元々は飯能駅前にあったそうですが、そちらは閉店となり、現在は東飯能に店があります。ただ、街の斜陽化なのか景気動向のせいなのかは分かりませんが、売り場が縮小されていて、7階は元々の売り場がなくなったところが市の施設として使われていて、かつてはレストラン街だったであろう最上階の8階は完全閉鎖されていたのが寂しかったです。
丸広百貨店飯能店
飯能市内を歩き終えた後は、八高線で拝島に移動。八高線も乗る機会のあまりない路線だけに久々の乗車でした。短時間の乗車でしたが、途中に茶畑があったり、米軍基地の中のアメリカンな雰囲気の街並みを通過したりと、なかなか変化に富んだ風景が面白かったです。
拝島からは、西武拝島線、国分寺線、新宿線を乗り継ぎ所沢に移動。所沢駅で下車したのは約10年ぶりだったのですが、最近になって橋上駅舎化されたようで、駅構内に店が多数できたり、巨大TVとテーブルや椅子が置かれた「とこてらす」という休憩スペースができたりして、雰囲気が以前とまるっきり変わってしまっていて、まるで浦島太郎になったような状態でした。
東急5050系Sustina車 所沢で下車したのは16時半頃だったのですが、ここで早くも飲み会となりました。飲み会ではビールを飲んでフライドポテトやソーセージ盛り合わせなどを食べながら色々歓談し、飲み会終了後も駅のホームで長時間にわたって電車を眺めながら歓談していました。西武は利用機会の少ない鉄道だけにどうしても疎いところがあったのですが、こうして見ていると色々な車両や運用を見ることができ、勉強になりますね。また、総合車両製作所の新構造ステンレス車体「Sustina」を採用した東急5050系5176F(5号車の5576の1両のみがSustina)を見ることができたりもしました。

Vol.42 SLばんえつ物語で行く会津の旅 2013年6月6日
先日は、「SLばんえつ物語」号などを利用して会津を旅してきました。今回は架空鉄道に関する実地視察などは特にしていませんが、 SLおよび会津鉄道のユニークな列車に色々乗車したことで、架空鉄道づくりの参考になる収穫が多々ありました。
C57-180
まず最初は新潟に移動。この日は臨時「ムーンライトえちご」の運行がなかったためバスで移動し、ここから「SLばんえつ物語」号に乗車。 この列車に乗るのは2回目で、できれば今年度より新登場の7号車(会津若松行きでは最後尾)の展望グリーン車(スロフ12-102)に乗りたかったのですが、 会津行きを決めてチケットを買ったのが遅かったことと、僅か30席のため買ったときには既に売り切れで、結局普通車に乗りました。また、 普通車でもできれば車内の半分がビュッフェ風の売店になっている5号車(オハ12-316)に乗りたかったのですが、5号車は前シーズンくらいから「オコジョルーム」という 子供向けのフリースペースになってしまい、そこを指定することができなくなってしまいました。鉄道趣味的には、昔の急行列車のビュッフェはこんな感じ だったのだろうなという気分を味わえる車両がなくなってしまったのは残念で、仕方なく「普通の普通車」である3号車にしました。
発車前には運転席の見学ができ、火が燃え滾るボイラーの中を見ることもできました。
列車は9:43に新潟を出ると、新津、五泉、咲花、三川、津川と停車。津川では、長時間停車中に給水や灰をボイラーからかき出す作業などが行われ、 これがなかなか迫力ある光景でした。 次いで、日出谷、野沢、山都、喜多方、塩川と停車。日出谷〜野沢間では、上野尻ダムの風景が圧巻でした。ダムの向こうの方には雪をかぶった山々も見えます。 そして、13:31に会津若松に到着。以前乗ったときは、会津若松到着時に郡山方面への快速との接続があり、その快速に国鉄色の583系が使用されて SLとの夢の共演が実現という光景が見られたのですが、今回は見られませんでした。
私の架鉄では現在、SL列車の運行はありませんが、こういう列車に乗ると自分の架鉄にもSL列車や観光列車を設定してみたくなりますね。 また、5号車の売店などは、燦柊浪漫鉄道のカフェカー(ビュッフェ)の設定を充実させる上での参考になったのは言うまでもありません。
会津若松到着後は市内散策をし、大河ドラマ「八重の桜」に関する県立博物館の展示や、八重の生家跡、歴史的建造物などを色々見ました。

会津浪漫花号 2日目は、会津若松朝9:10発のお座敷+トロッコ+展望列車「会津浪漫花号」に乗るために早めにチェックアウトして会津若松駅に向かい、 駅に到着すると、まず1番線にかつて東武直通特急に使用されていた485系をそのままのカラーで使っている快速「あいづライナー」車両が停まっていて、その向こうに会津浪漫花号が停まっていました。
列車は通常、300円の整理券を購入して3種類の車両から好きなものを選んで乗車できますが、今回はお座敷車両に関しては西若松より、トロッコ車両に関しては芦ノ牧温泉より団体客の乗車があるので、それより先は乗れませんとの説明が車掌よりありました。取り敢えず芦ノ牧温泉までの乗車なので、3両編成の中央のトロッコ車両に乗車しました。トロッコ車両はオープンデッキのため冷房はもちろんありませんが、走行中の風は涼しいどころか寒いくらいでした。
トロッコ車AT351車内
芦ノ牧温泉には25分ほどで到着。この駅で降りた理由は、猫駅長「ばす」に会うためです。ベンチの上で寝ていたかと思ったら、小屋に入ってしまったりもした猫駅長を撮ったりしてから、しばらく駅周辺を散策しましたが、ここは正直なところ、大きな見所はありません。駅名は温泉がつきますが、温泉街までは徒歩1時間近くかかるので行くことはできず、駅前にあった会津鉄道神社と旧トロッコ車両(キハ30改)の廃車体、少し歩いたところにある三嶋神社と隣にあった洞雲寺、さらに歩いたところにある蛇石神社を見ました。洞雲寺は戊辰戦争の戦死者を追悼する石碑があったりもしました。 架空鉄道における猫駅長の設定については、以前のコラム(Vol.16)にも書いたことがあり、色々参考にはなりましたが、実現できるかは微妙ですね。
昼食は、芦ノ牧温泉駅前にある「牛乳屋食堂」で、ラーメン+ソースカツ丼のセットを食べました。この食堂、以前訪れたときは超がつくほど有名で なかったのですが、マスメディア等へ取り上げられることが多くなったためか、開店前から待っている人が多数いて、開店と同時にほぼ満席になりました。 私が訪れた前日には、ロケで会津入りしていた志村けんが訪れたなど有名人も多く訪れるそうです。
湯野上温泉駅とAT500形 牛乳屋食堂で食べ終えた後は、AT500形の普通列車で湯野上温泉に移動。ここは茅葺き屋根の駅舎が特徴的な駅です。この駅舎は、どこかから移築してきた茅葺きの建物ではなく、会津鉄道の発足時に新築されたものだそうです。ここは芦ノ牧温泉とは違って駅前から温泉街になっていて、あちこちに足湯もありました。駅周辺を軽く散策して大川の河川敷にある奇岩の夫婦岩などを見た後、駅に併設の足湯に入りました。今回は駅をスタート&ゴールにした「100万年ウォーキング」というイベントが開催されたためか、足湯も結構混んでいました。
足湯につかった後は、鬼怒川温泉行きの快速「AIZUマウントエクスプレス」(使用車両は、AT600形「会津尾瀬エクスプレス」)で湯野上温泉を後にしました。AIZUマウントエクスプレスは、かつては名鉄から譲渡されたキハ8500形を使っていて、特別料金不要でリクライニングシートに座れるという豪華さを売りにしていました。その後の新車もローカル仕様の気動車がベースながらも転換クロスシート(AT600形)やリクライニングシート(AT700形)の車両になっています。今回乗車したのはリクライニングシートではないAT600形で、AT700形に比べると設備がやや劣りますが特別料金不要の列車にしてはグレードが高いです。
ちなみに、燦柊浪漫鉄道L1系50番台気動車は、ステンレス車体だったり、デッキ、洗面所付きであるなど、 若干の差異はありますが、会津鉄道AT600形を参考にしています。また、今のところ存在しませんが、AT700形を参考にしたリクライニングシート仕様車の 設定も考えていました。
AT600形会津尾瀬エクスプレス
AIZUマウントエクスプレスは途中数駅に停まりましたが、イベントのせいもあるのかローカル鉄道にしては結構乗降客が多く、会津鉄道から野岩鉄道に入る会津高原尾瀬口を過ぎると立ち客も出るほどの混雑になってきました。田園風景が広がっていた会津鉄道沿線から一転して、野岩鉄道に入ると山間部を走り、トンネルも多くなりました。途中には渓谷やダム湖なども見えてきて、景色の変化が印象的でした。
東武6050系 その後は、新藤原で始発の区間快速に乗り換えました。東武・JR直通特急の開設に合わせて大部分の快速を廃止して作られた以前の区間快速は東武動物公園まで各駅停車で、特急料金を払って特急を使えと言わんばかりの私たちのような貧乏行楽客いじめとしか思えないダイヤでしたが、今年の改正でその辺りは少し改善され、各駅停車で運転される区間も新大平下までに縮小され、そのおかげで特急との時間差も縮小されたので、躊躇することなく区間快速に乗車しました。 (一方で減便も行なわれていますが)
帰りの区間快速は、新大平下までは各駅停車でしたが、そこから先は以前からの快速と変わりない俊足ぶりで、18時前には北千住に到着しました。北千住では改札内にあるカレーショップで白身魚フライカレーを食べてから帰りました。

Vol.41 架鉄屋ゆえに見てしまった(?)不思議な夢(その9) 2013年5月24日
東京メトロ1000系
数日前にまたしても変な夢を見ました。夢の内容はこんな感じです。
銀座線のどこかの駅で電車を待っていたら1000系と同じ黄色ベースのカラーリングで総2階建ての謎の車両がやってきて、これに乗車。この電車ですが、車体色は1000系と一緒でしたが、形はどちらかと言うと千代田線の16000系に近い形だったように記憶しています。 実際の銀座線はもちろん渋谷止まりですが、この電車は渋谷より先も別の鉄道(架空鉄道?)に乗り入れて、どんどん郊外へと進んで行き、ついには近くに富士山が見えるところまで来てしまいました。
富士山の見える駅で下車し、そこから先は、1000系と同じ色の黄色いワゴン車に乗り換えて古い民宿みたいなところに向かいました。そこに泊まり、朝目覚めたら私の上を黒い猫が歩いていて、そこで目が覚めました。
銀座線は第三軌条で16m車体の小型車なので、間違ってもダブルデッカー車は走れないし、渋谷から富士山麓に向かう鉄道も実在しないだけに、 実に不思議な夢でした。

(動画はイメージです。)

夢占いのサイトで占ってみたところ、次のような結果が出ました。
http://yumekarte.jp/fortune.php
あなたには、大切にしたいもの、守りたいものがあります。
心の奥にある潜在意識には、誰かを愛したいという気持ちがあるようです。
愛情や友情など誰かとのつながりを大事にしています。
あなたから愛する人、大切な人を思う気持ちを大事に思っています。
そして愛する人、大切な人からの気持ちを求めています。
恋人や家族、親友など特別な相手への愛情の表れです。
これからも絆を深めようという気持ち、健康や幸せを思いやる気持ちがあります。
あるいは、恋を実らせたいたいと願う相手がいたり、異性からの好意を求めていたり、恋 愛への関心が高まっている場合もあるでしょう。
いずれも、愛し愛されること、恋をすること、円満な人間関係を望み、今の気持ちを大切 にしたいと願っているようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
だそうです。また、別のサイト(http://yume-uranai.jp/)でキーワード検索で占ってみたら、次のような結果も出ました。

「電車」
電車の夢は、あなたのこの先の人生を示し、将来に向けての意欲が表れます。電車に何か異常があったり、悪い印象を受けた夢なら、将来についてじっくり考えた方がよさそうです。快適に乗っていたり、目的地で降りる夢なら、運気は上昇の兆し。目標がしっかり定まっていたり、近く希望が叶うことを暗示します。

「富士山」
富士山の夢は幸運を暗示します。目的をもち努力していることがあるなら大きな満足感・達成感を得られるでしょう。また富士山の頂上にいる夢なら、目標の達成、望みが叶うなどココロの中の願いが現実のものとなりそうです。

「黒猫」
黒猫は何か不吉なことを暗示します。友達から裏切られたり、ショックな出来事が起こりそうです。思いがけない出費など経済的にも悪い変化が起こる兆し。十分な注意と警戒が必要です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
だそうです。電車と富士山は吉兆らしいですが、黒猫は凶兆というのが気になりますね(猫が出てきたのは、単に私が猫好きだからということのほうが大きい気もしますが)。思いがけない出費とあるのは、近々旅に出る計画を立てているから、そのせいなのでしょうか。
こんな夢を見て、銀座線に並行別線が存在して他鉄道と直通運転しているという設定の架空鉄道をふと思いつきました。 現行の小型車両が走る銀座線の輸送量が逼迫して、銀座線の複々線化名目で大型規格の別線(急行線)が作られ、そこにダブルデッカー車も走っているという 川島令三氏あたりが著書に書きそうな設定が思いついたのですが、これをホームページなどの形で具体化するには時間がかかりそうです。



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